那覇地方裁判所 平成3年(ワ)445号 判決 1996年10月23日
原告
甲山太郎
同
甲山花子
右両名訴訟代理人弁護士
中野清光
同
仲山忠克
同
伊志嶺善三
同
新垣勉
同
平良一郎
同
新城長榮
同
源武二
同
永吉盛元
同
池宮城紀夫
同
野村弘
同
阿波根昌秀
同
石川善英
同
稲福盛明
同
大川庄徹
同
大城浩
同
大城純市
同
幸喜令信
同
小波本健雄
同
島田良安
同
竹下勇夫
同
玉城辰彦
同
当山尚幸
同
宮城嗣宏
被告
富永清
右訴訟代理人弁護士
伊多波重義
同
小野哲
被告
島袋爲夫
右訴訟代理人弁護士
池内精一
被告
高良哲
同
名嘉浩郁
同
宮城普義
右被告三名訴訟代理人弁護士
上間瑞穂
主文
一 被告らは、連帯して、原告甲山太郎に対し、金二九七四万九二六五円、原告甲山花子に対し、金二八六四万九二六五円及びこれらに対する平成二年一一月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、これを一〇分し、その四を原告らの負担とし、その余は被告らの負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 当事者の求めた裁判
一 原告ら
被告らは、連帯して、原告甲山太郎に対し、金五六六一万七九八〇円、原告甲山花子に対し、金五五四一万七九八〇円及びこれらに対する平成二年一一月二二日から各支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
二 被告ら
原告らの請求をいずれも棄却する。
第二 事案の概要
本件は、暴力団組員に組員と誤認されて射殺された高校生の遺族(原告ら)が、刑事訴追された実行行為者(被告高良、被告名嘉及び被告宮城)に対する不法行為責任を追及するとともに、右実行行為者が島袋一家及びその上部組織の沖縄旭琉会の構成員であるとして、島袋一家の総長(被告島袋)及び沖縄旭琉会の会長(被告富永)の使用者責任又は共同不法行為責任を追及するという事案である。
一 争いのない事実等(弁論の全趣旨により認められる事実を含む。)
1 当事者
原告甲山太郎(以下「原告太郎」という。)は亡甲山次郎(以下「亡次郎」という。)の父であり、原告甲山花子(以下「原告花子」という。)は亡次郎の母である。亡次郎の相続人は原告らのみである。
被告富永清(以下「被告富永」という。)は沖縄旭琉会の会長である。被告島袋爲夫(以下「被告島袋」という。)は沖縄旭琉会島袋一家の総長である。被告宮城普義(以下「被告宮城」という。)及び被告高良哲(以下「被告高良」という。)は沖縄旭琉会島袋一家平田組所属の組員であり、被告名嘉浩郁(以下「被告名嘉」という。)は沖縄旭琉会島袋一家伊志嶺組所属の組員である。被告宮城は平田組幹事であった。
2 亡次郎の殺害
被告高良及び被告名嘉は、平成二年一一月二二日午後六時ころ、被告宮城の指示を受けて、三代目旭琉会錦一家組員を無差別に殺害する目的で、那覇市前島三丁目一〇番一四号所在の三代目旭琉会錦一家の別館事務所前路上に、被告高良が運転し、被告名嘉が後部座席に同乗するオートバイで乗りつけ、同所にて同事務所二階の防御フェンスの取付作業をしていたアルバイト学生の亡次郎(当時一九歳)に対し、被告名嘉が、殺意をもって、所携の拳銃で銃弾二発を発射してその頭部に命中させた。その結果、亡次郎は、同日午後六時二〇分ころ、沖縄県立那覇病院において、射撃による脳損傷により死亡した(以下「本件殺人事件」という。)
被告高良、被告名嘉及び被告宮城は、その後、本件殺人事件容疑で逮捕起訴され、平成四年九月一四日、被告宮城及び被告名嘉は無期懲役の、被告高良は、懲役二〇年の有罪判決を受け、いずれも現在服役中である。
二 原告らの主張
1 沖縄旭琉会の組織実態
(一) 沖縄旭琉会の結成
沖縄旭琉会は、会長である被告富永が平成二年九月一九日、遅くとも二一日ころ、三代目旭琉会から絶縁処分されたことに対抗して、右同日、自己の息のかかった各一家総長や組員を結集して組織した新たな組織暴力団である。
(二) 沖縄旭琉会の組織と運営実態
(1) 沖縄旭琉会は前記(一)に述べた結成の直後に組織を整えている。
(2) 沖縄旭琉会(第一次組織)は、被告富永を会長とし、その下に総長が長となる「一家」(第二次組織)があり、さらにその下に組織運営委員、理事等の地位にある者が長となる「組」(第三次組織)を有する階層的な一体性、統一性をもった組織体である。右のような一家総長制が沖縄の組織暴力団に取り入れられるまでは、沖縄の暴力団組織「沖縄連合旭琉会」(昭和四五年一二月結成)は、今日みられる階層的な組織ではなく、単層的でかつ単一的組織体として活動していた。ところが、二代目旭琉会(昭和五三年に沖縄連合旭琉会から二代目旭琉会となった。)のころ、組織整備を図るため、本土の稲川会を参考にして一家総長制を導入し、傘下の各グループを一家・組等に組織し、従来の単層的組織から階層的組織に組み替え、組織の近代化が図られた。右組織体のもとでは、会長と総長とは、「兄弟分」という擬制的血縁関係を結ぶことにより、暴力団特有の上下関係、支配関係を確立し、同支配関係を通じて組織の最高決定機関とされる「総長長」を会長が支配し、組織全体を支配する関係が確立されていた。
沖縄旭琉会は、三代目旭琉会を脱退した者が結成した組織であったが三代目旭琉会を継承するのは自分たちであり、翁永良宏(以下「翁長」という。)会長派は本来の組織のあり方から逸脱したものであるとの認識を持ち、それゆえに「旭琉会」の名称及び「代紋」をそのまま使用し、組織の構成・運営方法も三代目旭琉会と同じように行っていた。
沖縄旭琉会における会長と総長との関係は対等平等の関係ではない。同会は、三代目旭琉会で翁永会長と舎弟関係にあった者が脱会して結成した組織であり、かつ、被告富永と沖縄旭琉会結成に参加した総長との間には、三代目旭琉会において「理事長と総長」という上下関係が存した者同士であったこと、被告富永が自己の富永一家の総長の地位を上江洲丈二に譲り、自ら沖縄旭琉会の会長に就任していること、会長と総長との関係を「四分六の兄弟分」(擬制的血縁関係)とする一家総長制を組織原理としていること等から、沖縄旭琉会においても、被告富永会長と各一家総長との間には擬制的血縁関係が築かれていたというべきである。
(3) このように暴力団の組織は二重、三重の構造となっていて、これにより組織の統一と行動の一体性を維持しているのである。すなわち、沖縄旭琉会は、第一次組織(沖縄旭琉会)、第二次組織(各一家)、第三次組織(各組)という階層的な構造から成り立っている組織であり、第一次組織と第二次組織とは会長と総長との間の擬制的血縁関係を通して上下の支配関係を確立し、第二次組織と第三次組織とは総長と組長との間の擬制的血縁関係を通して上下の支配関係が築かれている。
(4) 沖縄旭琉会の対内外の活動方針は、会長の主宰のもとに各一家の総長で構成される総長会において会長である被告富永が決定し、組織の決定として各一家総長を通じて傘下の組員を拘束している。
また、沖縄旭琉会島袋一家の対内外の活動は、沖縄旭琉会の理事会の決定を受けて、総長の指揮命令のもとに具体的に実践される。
そして、沖縄旭琉会及び島袋一家における対内外の活動は、他の組織暴力団と同様に、次に述べる組織暴力団特有の組織原理に基づいてなされている。
(5) 暴力団の組織は、首領を頂点とした封建的な家父長制を模した擬制的血縁関係により構成され、親分、子分の身分律が存在する。親分、子分の上下関係は理屈を越えた絶対的なものとされ、親分の命令であれば理非善悪を問わずこれに従うのが子分としての当然の義務であり、美徳とされている。そしてこうした義務や組織の掟に反した者には厳しい制裁が加えられる一方、親分等の命令に従って組織に貢献した者には、より高い組織内の地位や相応の報酬が与えられるなどして、内部秩序が保たれている。
また、親分の直接の命令がなくても、親分や組織のために対立抗争する団体やその組員を襲撃して組織に貢献すれば、組織が逃走資金を供与したり、刑事弁護費用の肩代わりや家族に対する生活費の支給を行ったり、また刑務所から出所した時には組織内での賞賛と相応の報酬が与えられることになる。
このように、組織暴力団には家父長制的な絶対的な支配・服従の関係の下に、制裁と報酬という子分管理の内部統制律が組織原理として貫かれている。そしてその組織原理は、暴力団構成員の対内外の行動原理として機能しているのである。
2 被告高良、被告名嘉及び被告宮城の不法行為責任
(一) 被告高良及び被告名嘉は、共謀の上、殺意をもって、亡次郎に対し拳銃を発射して亡次郎を死亡するに至らしめたものであるから、民法七〇九条により、本件殺人事件につき、不法行為責任を負う。
(二) 被告宮城は、島袋一家所属平田組の幹部として、その配下にある一般組員の被告高良及び同一家伊志嶺組の一般組員の被告名嘉に対し、相対立する三代目旭琉会錦一家の組員を無差別に殺害するよう命じ、被告高良及び被告名嘉をして本件殺人事件の実行行為に至らしめたものであるから、共同不法行為者として、民法七〇九条及び七一九条により、本件殺人事件につき不法行為責任を負う。
3 被告富永及び被告島袋の使用者責任(後記4と選択的主張)
(一) 事業
民法七一五条にいう「事業」とは、事項または仕事と同義であり、営利的なものか家族的なものか、事実的なものか法律的なものか、また、継続的なものか一時的なものかは問わないと解されている。
前記1記載の組織実態を備えた沖縄旭琉会及びそれを構成する島袋一家は、組織の威力を背景に組織それ自体が常習的に暴力的不法行為を行い、又は構成員が組織の威力を背景に集団的に、あるいは常習的に暴力的行為を行うことを積極的に容認して、不法な利益を得ることを目的としている組織暴力団である。組織暴力団である沖縄旭琉会及び島袋一家は、自己の目的を達成するため、日常的に組織の威力を誇示し、自己の縄張りを維持拡張するための種々の活動を行っている。これらの活動がまさに組織暴力団の本来の事業活動である。
よって、沖縄旭琉会の組織運営は被告富永にとって、島袋一家の組織運営は被告島袋にとって、それぞれ民法七一五条の「事業」に該当する。
(二) 対立抗争行為の職務執行性
(1) 対立抗争の本質
ア 沖縄旭琉会の結成目的
沖縄旭琉会の結成の経緯・結成時の状況を考えると、三代目旭琉会から脱会したり脱会させられたりした人等の相互的な扶助協力関係とは、沖縄旭琉会結成に加わった組員が三代目旭琉会から攻撃・制裁を加えられないように組織の力でこれを守ることを意味するものであった。すなわち、沖縄旭琉会は、結成当初から、組織の維持、防衛を最大の活動目的としていた。
被告富永が沖縄旭琉会の旗揚げをしたとする平成二年九月二一日の午前には、富永一家組員が会長派の沖島一家組員から襲撃され、さらにその日の夜には沖縄旭琉会の座安一家本家が襲撃される事件が発生し、既に三代目旭琉会と沖縄旭琉会との対立抗争が始まっていた。そして、沖縄旭琉会の結成直前の同年九月一三日から本件殺人事件が発生するまでに、抗争事件は、合計三一件が発生している。抗争事件の内訳をみると、三代目旭琉会が沖縄旭琉会に仕掛けた事件が一三件、理事長派または沖縄旭琉会が会長派または三代目旭琉会を攻撃したのが一七件となっている。
右抗争の実態をみると、いかに沖縄旭琉会が組織の維持防衛を組織の最大の目標としていたかがよく理解できる。
イ 抗争行為の組織的行動性
右抗争事件は、組織暴力団特有の銃や凶器を用いて対立組員の生命人体を狙ったむき出しの暴力行使であり、力で対立組織を壊滅・弱体化しようとする組織の総力を挙げた闘いであった。
したがって、右抗争行為は、各々の組織の組員が跳ね上がり的に起こした偶発的なものではなく、自己の属する組織の維持防衛を行うために対立組織を壊滅、弱体化させようとした組織的行動と評すべきものである。
組織的行動と評価されるのは、必ずしも個々の行動が組織的に決定承認され、組織の個々の指示に基づいて行われる行動に限られるものではない。
本件の場合、組織間の対立抗争状態が連続して頻発している最中に実行された抗争行為に関するものであり、沖縄旭琉会が三代目旭琉会からの攻撃に備えるとともに、三代目旭琉会への対抗措置をとることを一般的に容認している状況が認められる。このような状況の下では、沖縄旭琉会の各組織の組員は自己の組織の維持防衛のために、それぞれの組織ごとに自主的に対立組織への行動をとることは通常よく見られることである。この場合、仮に個々の組員の行為につきいちいち沖縄旭琉会で明示の決定、承認、指示がなかったとしても、黙示的に容認していたことは明らかであるから、下部組織組員の本件対抗行動は、組織(沖縄旭琉会)のための行動と評価しうる。
ウ 本件殺人事件の抗争における位置づけ
島袋一家伊志嶺組組員知名朝盛(以下「知名」という。)が、平成二年一〇月三日、銃で殺害されたことから、島袋一家全員が辻の沖縄旭琉会本部事務所に集められて全体会議が開催され、同日午後からは、島袋一家の幹事会が開かれ、犯人の特定、組織防衛活動をとることが協議されている。行動隊長の親里孝正(以下「親里」という。)は、「ヒラ組員」を集めて行動隊を構成し、一家で用意した自動車、拳銃を与えて三代目旭琉会の組員の偵察・監視・尾行活動を行わせ、また、「ヒットマン」と称する組員を選定し、直接的襲撃活動を行わせている。
同年一〇月九日には、島袋一家金政組組員小浜米盛(以下「小浜」という。)が、島袋一家本家事務所前で銃撃されたことから、同月一一日には島袋一家全員が集められて、全体会議が行われ、「会長派は無差別攻撃の命令が出されているから、一人でうろつかないように。動いている者は内密に動くこと。島袋一家は狙われている。」との情勢認識が徹底されている。
右情勢認識の下で、島袋一家は桜坂の本家事務所を捨てて、沖縄旭琉会本部と島袋一家伊志嶺組事務所に詰めることが決定されて、傘下組員が右事務所に結集することになった。
右情勢の下で、島袋一家平田組幹部の被告宮城が、被告名嘉や被告高良に三代目旭琉会の組員の襲撃を命令することになった。
右に述べた島袋一家及び被告宮城、被告名嘉及び被告高良の行動は、沖縄旭琉会が組織を挙げて一体的・統一的に行っていた対立抗争の中で行われていたものである。
本件殺人事件が個人的な跳ね上がり行為として行われたものではないことは、実行行為者の被告名嘉及び被告高良に対して報酬金が各金四五万円支給されていること、被告宮城、被告名嘉及び被告高良の刑事事件において、組織が弁護人を付していること等から明らかであって、右行為は組織的行動として取り扱われている。
(2) 対立抗争行為の職務執行性
したがって、本件抗争中の沖縄旭琉会の各一家(第二次組織)及び各組(第三次組織)の抗争行為は、沖縄旭琉会の組織維持・防衛のための行動として、民法七一五条の「職務の執行」と評されるべきものである。通常「業務」とは、組織の存立を前提として組織が活動する「目的」を示すものとして理解されているが、組織維持・存続のための活動も組織の根源的活動として「業務」に含まれる。組織暴力団は、名目上の目的のいかんを問わず、当該暴力団の暴力団員が当該暴力団の威力を利用して生計の維持・財産の形成または事業の遂行のための資金を得ることができるようにするために、当該暴力団の威力をその暴力団員に利用させまたは当該暴力団の威力をその暴力団員が利用することを容認することを実質上の目的とする団体であるが、組織暴力団が、対立抗争状態の中で、自己の組織を維持・防衛するために行う抗争行為は、暴力団の本質的な事業活動そのものである。
(三) 本件殺人事件は職務執行に密接に関連する行為である。
本件殺人事件は、被告高良及び被告名嘉が、沖縄旭琉会島袋一家平田組の被告宮城幹部の命を受けて三代目旭琉会錦一家組員を襲撃する行為として実行されたものである。
したがって、その本質は、沖縄旭琉会の組織を維持し防衛するために三代目旭琉会の壊滅・弱体化を狙って行った抗争行為そのものである。
本件殺人事件に至るまでの沖縄旭琉会による抗争行為がほとんど拳銃によるものであることを考えると、沖縄旭琉会は組織維持・防衛活動のために組員が拳銃を使用して抗争行為を行うことを容認していたものである。
仮に、沖縄旭琉会が組織として拳銃使用による抗争行為を容認していなかったとしても、組員が拳銃を使用した抗争行為は組織が容認した抗争行為(偵察活動・尾行活動)に密接に関連した行為であった。
以上のとおり、本件拳銃使用による抗争行為は、沖縄旭琉会が組織維持防衛のために容認していた抗争行為そのものであり、仮に、沖縄旭琉会が殺害行為までは容認していなかったとしても、殺害行為は拳銃等の凶器を使用する威嚇等の抗争行為に密接に関連した行為と評価しうるものである。
したがって、本件殺人事件は、沖縄旭琉会の組織維持防衛行為に密接に関連して行われたものとして、沖縄旭琉会の「職務執行につき」行われたものである。
(四) 指揮監督関係の存在(暴力団特有の階層的指揮監督)
(1) 組織暴力団の組織構造は、首領を頂点として系列傘下の全組織が親分子分の擬制的血縁関係により、上下に階層的に結合されているだけでなく、傘下の組織相互間も緊密に結合され、系列の全組織が縦横に有機的に連合した一体性と統一性を持った一個の組織体として理解される。
(2) 前記1の(二)で述べたとおり、沖縄旭琉会の場合、会長たる被告富永と各一家の総長との間に兄弟分という擬制的血縁関係が存し、会長による各一家総長の指揮監督関係が確立されている。
被告富永会長は、総長に対して支配力を有し、総長会で総長の意見を聞くものの、最終的な決定は被告富永会長が行っていた。
被告富永は、三代目旭琉会の翁長会長に比し、自己が沖縄旭琉会の会長として民主的に組織を運営していたことを強調するが、仮にそうだとしても、そのことにより会長の総長に対する指揮監督関係、会長と総長との上下関係を否定することにはならない。総長会で会長が決定した事項は、沖縄旭琉会の組織決定として各一家総長を通じて傘下の組員に伝達され、順守すべき事項として組員を拘束するのである。このことは、まさに沖縄旭琉会が総長会における会長の決定という形で組織方針を示し、同方針にしたがって下部組員が行動することを義務づけられるという組織内の指揮監督関係が存していることを示すものである。
(3) 右組織内の指揮監督関係を基礎にして、会長、最高顧問、会長代行、理事長、本部長、副会長、組織運営委員、理事、幹事等の役職がつくられ、組織内における役割分担と指揮監督関係が明確化・秩序化されているのである。
また各一家においても、総長、若頭、行動隊長、事務局長、相談役、幹事等の役職が付され、一家内における上下関係、指揮監督関係が確立されていた。このことは、島袋一家の組織構成と実態を見ると明らかである。
(4) 右のとおり、沖縄旭琉会は、組織内において会長と総長、総長と組長、組長と組員という階層的指揮関係を通じて、会長と組員との間には実質的に指揮監督関係が存している。
(五) 使用者責任の成立
(1) 被告富永は、沖縄旭琉会の最高責任者たる会長として、総長会において三代目旭琉会に対する偵察・監視行動・尾行行動・襲撃行動等の抗争行為を中止させる決定をなし、傘下組員に対して抗争行為の中止を命ずることができる組織上の地位を有しているものである。
ところが、被告富永は、平成四年二月一三日付けの終結宣言を発するまで沖縄旭琉会としての抗争行為の終結決定・指示を出していない。被告富永は、警察官殺害事件が発生した直後の一一月二四日午前五時三〇分ころから翌日の午前零時ころまで県警本部による直接の説得を受けて、仕方なく一一月二五日、沖縄旭琉会本部事務所において、傘下の総長、幹部を集めて抗争行為の中止の指示を行ったものの、それは警察立会いの下でなされたもので、自主的なものではなかった。右指示は、県警本部の強い要請によりなされたもので、その実態は抗争行為の自粛にとどまるものであり、未だ組織としての抗争行為中止決定ではなかった。
(2) 右に述べたとおり、沖縄旭琉会は、階層的な一体性、統一性を有する暴力団組織であり、本件殺人事件は、沖縄旭琉会が自己の組織維持防衛のために行った対立組織三代目旭琉会への襲撃行為であり、沖縄旭琉会の職務執行行為そのものないしはそれと密接に関連する行為である。また、沖縄旭琉会(会長被告富永)と本件実行行為者たる被告宮城、被告名嘉及び被告高良との間には実質的な指揮監督関係が認められるので、本件殺人事件は民法七一五条にいう沖縄旭琉会の職務の執行につき、なされたものである。
よって、被告富永は沖縄旭琉会の会長(最高責任者)として、被告島袋は、本件殺人事件の実行行為者の所属する島袋一家の総長として、本件殺人事件につき損害賠償責任を負う。
4 被告富永及び被告島袋の共同不法行為責任(前記3と選択的主張)
(一) 総説
沖縄旭琉会は、被告富永を頂点とした親分、子分の絶対的な身分律が徹底された組織であり、その本質は暴力的利益収奪集団である。そして、収奪してきた利益は一家の総長を経て会長である被告富永に集中するようになっている。したがって、暴力的に収奪された利益を取得する一家の総長や会長が、収奪過程若しくは組織の防衛過程で発生した不法行為について、その責任を負うのは当然のことである。なぜならば、利益の帰するところに責任はあるべきであるし、組織の最高責任者は組織の一員が組織の活動若しくはこれに密接に関連した行為によって第三者に損害を与えたときには最終責任を負うとするのが、組織の論理上当然の帰結だからである。
(二) 関連共同性
民法七一九条の立法趣旨は、被害者救済を厚くすることである。そして、同条の共同不法行為の成立について、判例は行為者間に意思の共同や共同の認識(主観的共同)は必要ではなく、各自の行為が客観的に関連共同していること及び各自の行為について不法行為の要件が具備していることで足りると解している。仮に主観的関連共同性が必要とする見解に立つとしても、具体的抗争行為について共謀等がある場合には具体的な襲撃行為についての共謀等がなくても、主観的関連共同性が認められるというべきである。暴力団にとって抗争は組織の存亡や維持拡大にとって避けられないものであり、一旦抗争が発生すれば、抗争に伴う加害行為については組織の組長と実行行為者(ヒットマン)との間に抽象的な共同認識ないし認容があると考えるのが自然だからである。
本件抗争事件は、三代目旭琉会の内紛と分裂という特定の原因によって発生した分裂後の三代目旭琉会と新組織の沖縄旭琉会との間の具体的抗争行為であり、両組織の存亡をかけた熾烈な総力戦であった。
沖縄旭琉会は、本件抗争事件発生以来、「自己組織の防衛」「三代目旭琉会の攻撃に対する反撃」または「三代目旭琉会の攻撃に対する正当防衛」等を理由に、三代目旭琉会に対して攻撃、反撃を加えることを組織的意思として決定し、本件抗争行為を指示、指揮して維持、継続してきたものであるところ、被告富永は沖縄旭琉会の会長として、被告島袋は同会島袋一家の総長として、共謀して、本件抗争行為についての組織的意思決定をなし、かつ、同決定に基づいて、被告富永は各一家を、被告島袋は島袋一家傘下の組をそれぞれ指示、指揮して、本件抗争行為を行ってきた。
本件殺人事件は、沖縄旭琉会の右組織的意思に基づいて、同会島袋一家所属の組員である被告宮城、被告高良及び被告名嘉が、対立する三代目旭琉会錦一家に対する襲撃行為を行った過程で発生したものであり、本件抗争行為の一環としてなされたものである。
したがって、沖縄旭琉会の幹部である被告富永及び被告島袋と実行行為者である同会組員の被告宮城、被告高良及び被告名嘉の間には、互いに他の構成員の行為を利用し、または利用されることを認識認容する共通の意思を有し、各自の任務分担に応じて本件抗争行為を担うことにより、組織的に本件抗争行為がなされていることについての共同認識を有していたのであるから、組織的活動として関連共同性を有していたことは明らかである(主観的共同意思の存在)。
なお、本件抗争行為は、とりわけ二か月間にわたって熾烈な抗争が集中的に継続していたのであるから、被告富永及び被告島袋と実行行為者である被告宮城らとの間には、本件抗争行為についての共謀や認識認容が存在するとの事実上の推定が働くというべきである。
(三) 故意・過失
組織暴力団の抗争は、組織暴力団が暴力性を本質とするところから、必然的に敵対組織への暴力、加害行為へと発展することは容易に予見できるところであるが、本件抗争事件は、平成二年九月の抗争発生以来、本件殺人事件まで継続して発生していたものであり、沖縄旭琉会の組員による敵対組織たる三代目旭琉会の組員に対する本件のごとき殺人事件が勃発することは具体的に十分予見可能であった。
被告富永及び被告島袋は、自己の組織に属する組員が、本件のごとき殺人行為を行うことを予見し、かつこれを積極的に容認していたというべきであるから、本件殺人事件については故意犯と同様の認識をもっていたと評すべきである。
仮に、被告富永及び被告島袋が本件のごとき殺人事件を容認していなかったとしても、本件抗争事件の流れ、経緯の中では、十分にその発生は予見可能であったから、被告富永及び被告島袋には、組織の最高幹部として自己の組織に属する組員に対し、敵対組織への加害行為を行わないようにする抗争行為・加害行為回避義務が存したものと解すべきである。よって、右義務を履行しなかった被告富永及び被告島袋には、本件殺人事件について過失が存したことは明らかである。
(四) 因果関係
本件殺人事件は被告らの主観的共同意思に基づいて発生したものであり、その共同意思は人に対する殺害行為を含むことも認識・認容していたのであるから、被告らの主観的共同意思と本件殺人事件との間には、相当因果関係が存する。
(五) 結論
よって、被告富永、被告島袋、被告宮城、被告高良及び被告名嘉には、沖縄旭琉会の組織的意思として、三代目旭琉会の構成員に対し、拳銃等を使用して殺人行為を含めた加害行為を加えるとの主観的共同意思が存したものである。したがって、主観的共同意思を有する者の一部が、本件殺人事件を行った場合には、直接、本件殺人行為を行っていない被告富永及び被告島袋も、民法第七一九条に基づく共同不法行為者として、本件損害につき賠償責任を負うといわざるをえない。
5 損害
(一) 亡次郎の損害
七一一四万五九六〇円
(1) 逸失利益
四一一四万五九六〇円
亡次郎は、死亡当時一九歳八月のアルバイト中の定時制高校四年生であり、卒業時の一九歳一一月から六七歳まで就労可能であった。
したがって、亡次郎の逸失利益は、賃金センサス平成元年第一巻第一表の新高卒者の全年齢平均給与額の年収四五五万二三〇〇円を基礎とし、生活費割合を五〇パーセント、ライプニッツ方式により中間利息(一九歳の係数18.077)を控除して算出すれば、四一一四万五九六〇円(一〇円未満切捨)となる。
(2) 慰謝料 三〇〇〇万円
(3) 原告らは、亡次郎の父母であり、同人に対して生じた損害賠償請求権について、それぞれ二分の一(三五五七万二九八〇円)を相続により取得した。
(二) 原告らの損害
(1) 原告太郎に生じた損害
二一〇四万五〇〇〇円
ア 葬儀費用 一二〇万円
イ 慰謝料 一五〇〇万円
ウ 弁護士費用
四八四万五〇〇〇円
(2) 原告花子に生じた損害
一九八四万五〇〇〇円
ア 慰謝料 一五〇〇万円
イ 弁護士費用
四八四万五〇〇〇円
(三) 慰謝料の法的性質
伝統的通説は、原則として慰藉料を精神的損害の填補と据える立場を取る。しかしながら、そこで考えられている救済の内容は、現実に発生した主観的な精神的苦痛に対する損害填補ではなく、一定程度客観化された規範的性格を有するものである。しかも、填補の対象となる苦痛の範囲は、肉体的な苦痛だけでなく、被害者の憤怒、怨恨等といった、その認定自体が裁判所の規範的評価に委ねざるを得ないものにまで及んでいる。
しかし、慰謝料そのものを規範化し、被害者の憤怒、怨恨などといったものにまで精神的損害としての賠償範囲を広げ、かつ、その額の算定が自由裁量に委ねられるとき、慰謝料の機能を損害填補と規定したとしても、実質的に慰謝料制裁説が主張するところとさほど径庭がない。伝統的な通説の理論的枠組みを前提としたとしても、本件のような特殊事例においては、被害者の憤怒の慰謝ということを通じ、その制裁的性格を全面に押し出して慰謝料額を認定することは許容されるべきである。
本件は、事件の内容において一般性、類例性はなく、とりわけ組織的暴力団に関する加害者の立場、加害態様等が重要な意味を持つ事件である。このような場合に、形式的に交通事故の基準を適用し、慰謝料額を算定することは不当である。
(四) 慰謝料算定の事情
(1) 被害者側の事情
亡次郎は、本件殺人事件当時、一九歳の定時制高校四年生で、アルバイト勤務中に殺害されたものである。勤勉で苦労しながら通学し続けていた高校卒業を目前にして、突然、その生命を絶たれ、瞬時にして人生の全てを失ったその無念さは筆舌に尽くしがたい。
原告らにとって、長男である亡次郎は生きがいであり、物心両面の支柱であった。何ら責められるべき事由がないにもかかわらず、反社会的集団である暴力団によって射殺されたことの精神的ショックは計り知れないものがある。
(2) 加害者側の事情
本件殺人事件は、暴力団特有の組織的な対立抗争の一環として、敵対する相手方組織の壊滅を意図してなされた組織的犯行である。また、予め法的に所持の禁止されている拳銃を準備し、それを使用して反対派組員を無差別に殺害する意図でなされた計画的犯行であり、その動機及び態様はまさに極悪非道といわざるを得ない。
さらに本件殺人事件は、対立抗争事件の頻発に対する県民の非難と恐怖を一顧だにせずして強行されたものであり、社会的不安を深化、増長せしめたその社会的影響力は計り知れないものがある。
被告らは、暴力団組織とは何ら関係のない善良な市民である亡次郎を殺害しながら、何ら反省、陳謝などの誠意ある態度を全く見せておらず、その後も熾烈な対立抗争事件を発生させた。
本件訴訟の過程で、被告らから原告らに対し、損害賠償金の一部が支払われたが、それは専ら実行行為者の刑事責任を軽減する意思のもとになされたものであり、真に謝罪の意思からなされたものではない。
(3) 本件殺人事件発生時である平成二年度の東京三弁護士会交通事故処理委員会編の「損害賠償額算定基準」によると、死亡慰謝料標準額は、一家の支柱及び母親(妻)以外の者の場合で、一六〇〇万円である。しかしながら、前記(1)及び(2)で述べた事情並びにその立場に互換性がないこと等を総合考慮し、同種事件の再発を未然に防止するためにも、慰謝料の一般予防機能及び制裁的機能をより重視し、本件殺人事件による被害者側の慰謝料は六〇〇〇万円をもって相当と解すべきである。
6 過失相殺
亡次郎は、経済的に苦しい家計を助けるために、定時制高校に進学し、アルバイトを続けながら学業に励んでおり、本件殺人事件当時、太田鉄工所で働いて月額約八万円の収入を上げ、そのうち三万円を家庭に入れていた。亡次郎は、平成二年五月ころ太田鉄工所に就職したが、これ以前にも同所に勤めていて、比較的同所に馴染んでいた。亡次郎は、本件殺人事件当日、太田鉄工所の代表者の弟にあたる太田敏男から頼まれて、敏男の仕事の手伝いのため敏男に同行したが、敏男を信頼して本件工事現場に安心感をもって臨んでいた。敏男自身、本件殺人事件の現場である別館は、錦一家事務所の仕事とは違って、襲われる事もあるまいと思っていた。そして亡次郎は、殺害当時、作業ズボンを着て作業中であり、一見して暴力団とは違う身なりであった。
右に述べた事情からすれば、亡次郎は発砲されるかもしれないという危険を承知の上作業に従事したことは全くない。その作業内容も、梯子を掛けて二階で網張り工事をしている敏男のために、その梯子の足を押さえている単純労働であって、危険を伴う作業とは全く質が違う。よって、「ことさらな危険への接近」ということは全くない。被告らが発砲さえしなければ同所は平穏そのものであった。
よって、過失相殺すべき事情は存しない。
7 よって、被告高良及び被告名嘉については民法七〇九条により、被告宮城については民法七〇九条及び七一九条により、被告富永及び被告島袋については民法七一五条又は民法七一九条に基づいて、被告らに対し、連帯して、原告太郎は五六六一万七九八〇円、原告花子は五五四一万七九八〇円及びこれらに対する本件殺人事件の発生の日である平成二年一一月二二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める。
三 被告高良、被告名嘉及び被告宮城の主張
被告名嘉の責任を認め、その余は争う。
四 被告富永の主張
1 沖縄旭琉会の発足及び抗争事件の発生経過
三代目旭琉会の分裂の契機になった問題点についていえば、内容的には山口組への対応の問題であって、もともと沖縄連合旭琉会発足以来の統一基盤である本土勢力からの独立の理念が無視されたことであり、手続的には、総長会、組織運営委員会等組織内部の民主的運営違反、運営準則の無視の問題があったことに由来するのであって、新しく発足した沖縄旭琉会としては、無原則的な組織運営に対する批判から出発している以上、原告ら主張の、封建的家父長制を模した擬制的血縁関係により構成される親分、子分的身分律によって支配されているというのは、全く事実に反しているのであって、それは単に原告らが抱いている組織一般に対する独断若しくは偏見にすぎない。
今回の抗争の端緒となった巴組組長金城宏による丸長一家幹事仲程盛昌への拳銃発射事件は、もともと丸長一家内の内紛がからんだ個別的性格の事件であった。にもかかわらず、これを反主流派による組織的犯行であり、主流派に対する宣戦布告であると決めつけた三代目旭琉会会長翁永の独断によって、被告富永らに対する絶縁処分が強行され、そのため三代目旭琉会は組織的に分裂することとなった。その分裂の態様は一家こぞって脱退したところもあれば、一家の内、総長を含む一部の者は三代目旭琉会にとどまったが、他の者は脱退し、あるいはその逆の事態になったところもあるなど、各一家内部での分裂も発生し、きわめて複雑な様相を呈していた。そのため三代目旭琉会を脱退した一家総長らによって沖縄旭琉会が新たに結成されるに至ったものの、その内実は極めて混沌としていて、決して統一のとれた組織体制がそこに生まれたとはとうてい言えない状況であった。
こうした状況の中で、末端での衝突が発生し、攻撃を受けた側が今度は反撃に出るなど、ゲリラ的な抗争が随所で発生した。これは三代目旭琉会側が一斉に脱退した各一家に対し、無差別的に攻撃を加えた結果であって、攻撃された各一家やその構成員らが、やられたらやり返すということから、抗争が一挙に拡大することとなった。この間、沖縄旭琉会としては、終始自らの側から攻撃をしかけてはならない旨申し合わせ、その趣旨の徹底に努めてきたのであるが、仲間や友人が殺害されたり、負傷させられたりした者もあって、血気にはやる者たちの行動を全面的に制御することができなかったのも事実であって、その点誠に遺憾であったというほかない。また、このような抗争状態の進展の中で結成された沖縄旭琉会としても、組織結成に参加した各一家の抗争行為を全体として組織的に統括することができなかったのが実情であった。
右のとおり、もともと組織暴力団は抗争を目的として組織されたもので、その構成員はその目的にしたがった職務に従事し、行動しているものであるとの前提で、被告富永に対し、民法七一五条の使用者としての責任または民法七一九条の共同不法行為者としての責任を問おうとする原告らの主張は、組織の実情や行為の背景を無視した独断であって、とうてい承服し難い。
2 使用者責任
(一) 民法七一五条の定める「使用者」の責任は、被用者の行為が使用者の事業活動の一部を構成するものであり、かつ、被用者を使用することによって、使用者がその事業活動の範囲を拡大して巨大な利益を上げているのであるから、それに伴って生じてくる損害をも、使用者に負担させるべきであるとする報償責任の原理に基づくものである。
かかる意味において、その根底に事業の継続による経済的利益の帰属の関係が存在することが、本条適用の重要な要素となるといわなければならず、また、そこでいう「事業」の概念についても、当然経済的利益を追求する性格のものであることが要請されるのであるから、そのような限界を無視して、「事業」の範囲を恣意的に拡張解釈して適用するのは相当でない。
(二) また、「使用者」と「被用者」との関係についても、当初予定されていた雇用関係にとどまらず、請負関係等これと同視できるような選任監督関係のある場合にまで拡大されてきているが、その場合でも雇用関係と同視しうるような選任若しくは指揮監督についての客観的具体的関係が存在することが要求されている。そういう意味でも、本件実行行為者と沖縄旭琉会の代表者であるにすぎない被告富永の関係につき、安易に「使用者と被用者」の関係を適用することは許されない。
(三) そしてさらに、不法行為の実行行為が、その「事業ノ執行ニ付キ」遂行されたものであることが使用者責任成立のためには必要とされている。右要件については、実行行為が、「被用者としての地位に基づく職務の執行としてなされたものであるか、あるいは職務の執行に際し、職務行為に付随してなされたものである」ことが必要と解される。
(四) 今回の対立抗争事件は既存の二組織が対立し合い、抗争が開始されたというケースとは異なり、三代目旭琉会内部において、組織の運営をめぐって意見の対立が生じ、会長翁永の独断専行に反発した各一家の総長(一五団体のうちの一〇団体)が一斉に脱退するという事態となったことを契機にして発生することとなったものである。脱退した各一家の総長の間では脱退と同時に新組織を作るという方向での意見の一致はあったものの、組織の構成や体制をどうするかについては必ずしも意見が一致しておらず、人事の確定はかなり遅れて平成二年一一月中旬以降になって初めて決まるというような状況であったのであるから、今回の対立抗争事件について、これを初めから二組織間の組織的な対立抗争事件であったと決め付け、被告富永に沖縄旭琉会の会長としての組織的責任を問おうとするのは、いささか筋違いであるというべきである。
各一家の総長が一斉に脱退するという状況の中で、末端での衝突が発生し、攻撃を受けた側が今度は反撃に出るなど、ゲリラ的な抗争が随所で発生した。これは三代目旭琉会側が一斉に脱退した各一家に対し、無差別的に攻撃を加えた結果であって、攻撃された各一家やその構成員らが、やられたらやり返すという考えで行動し、抗争が一挙に拡大することとなった。この間、沖縄旭琉会としては、終始自らの側から攻撃をしかけてはならない旨申し合わせ、その趣旨の徹底に努めてきたのであるが、仲間や友人が殺害されたり、負傷させられたりした者もあって、血気にはやる者たちの行動を全面的に制御することができなかったのも事実であって、その点誠に遺憾であったというほかない。また、このような抗争状態の進展の中で結成された沖縄旭琉会としても、組織結成に参加した各一家の抗争行為を全体として組織的に統括することができなかったのが実情であった。
したがって、今回の抗争行動全体を沖縄旭琉会の組織的活度としてとらえ、組織暴力団の事業の遂行に当たるとすることはできない。
(五) 沖縄旭琉会は平成二年九月二一日に新しく発足した一家単位制をとる連合体なのであって、各一家の組織の運営やその構成員に関する事項については、各一家の組織運営の準則によって処理されているのであって、沖縄旭琉会の会長といえども、一般的に末端の構成員に対して直接指揮監督する立場にはないのが実態である。
したがって、他に特別な関係もないのに、単に構成員であるということだけから直ちに使用・被使用の関係に置き換えることには問題がある。
3 共同不法行為責任
沖縄旭琉会は抗争状態の中で生まれた組織ではあるが、もともと抗争遂行を目的としてそのために結成されたものではなく、あくまで恒常的なものとして構想されたものである。したがって、その組織体制や役員人事の確定も慎重に行われ、被告富永が会長に就任することが決まったのも、平成二年一一月中旬である。そのため、既に各方面で発生していた各一家の具体的抗争行為について、組織的に統括し指図するというような体制は全く組まれていなかったのであって、沖縄旭琉会の組織的な意思に基づき抗争が推進されたり、抑制されるというような状況は全く存在していなかった。
また、平成二年一一月当時の抗争の状態からしても、全般的に沈静化の傾向が認められる上、警察の警備も厳重であり、さらに抗争が拡大するというようなことは、ほとんど考えられない状況であった。ましてヤクザ同士の争いに一般市民を巻き込むなどということは、もともとあってはならないこととされているのであるから、本件殺人事件が発生するなどということは、この時期においては被告富永にとうてい予想もつかない出来事であったということができる。
さらに、前記1のとおり、今回の抗争の実態は、各一家が非組織的に対応するしかない状況であったのであり、本件殺人事件に直接関わることになった島袋一家の場合は、まさにその典型ともいうべきケースであった。
すなわち、島袋一家の関係者らが抗争行為に参加するようになったのは、三代目旭琉会側の攻撃により、(一)平成二年一〇月三日、島袋一家伊志嶺組組員知名が射殺されたこと、(二)同月九日、島袋一家金政組組員小浜が島袋一家本部事務所前で撃たれて重傷を負ったこと等の事件が発生したため、島袋一家としても、防衛行動を含め、何らかの対応行動に出ることが必要になってきたことによるものであった。
そして、その後島袋一家内でも、積極的主戦論者であった被告宮城を中心に、いろいろ報復に向けた準備行動が展開されることになったものの、適当な機会がなかったため、実行に踏み切れないまま推移していたところ、平成二年一一月中旬ころになり、三代目旭琉会錦一家の事務所前にいたランドクルーザーが、被告宮城らの詰めていた島袋一家伊志嶺組事務所の周辺を徘徊して挑発行動に出てきたこと、その後平成二年一一月二一日になって、島袋一家伊志嶺組事務所前路上にいた被告宮城が、三代目旭琉会錦一家の者と覚しき者から狙撃されるという事態になったため、これに反発した被告宮城において錦一家事務所への攻撃を実行する決意を固め、予め待機させておいた被告高良らに指示して、本件殺人事件を遂行させるに至ったというのであって、かような経過をつぶさに検討すると、本件殺人事件の実行行為は、もともと島袋一家の構成員らが抱いた独自の被害意識と反発心から遂行されたものといわざるを得ない。
したがって、本件殺人事件がたまたま抗争状態の中で行われたものであったとしても、被告富永に対し、民法七一九条の責任を問うためには、むしろその実行行為者らの行為に対して、被告富永が現実的に指示や指揮を行っていたという格別な事情を具体的事実関係に即して明らかにしなければならず、その立証がない限り、被告富永に共同不法行為に基づく責任は認められないというべきである。
4 慰謝料
民法七一一条に定める原告ら固有の慰謝料請求権については、直接的被害の賠償と総合的相関的に考えられるべきであり、原告ら主張の損害額、とりわけ慰謝料額(相続分、固有分を含む。)については高額に過ぎる。
5 過失相殺
(一) 亡次郎が本件殺人事件現場で作業に従事することとなったのは自らの本来の勤務先である太田勇の経営する寄宮の太田鉄工所が請け負った工事に従事するためではなく、右太田の弟である太田敏男の経営する古波蔵の太田鉄工所の請け負った工事について特別な依頼を受け、アルバイト工員として従事するためであった。
(二) また、当時、平成二年九月下旬ころから三代目旭琉会関係の組織と沖縄旭琉会関係の組織間で、抗争行為が多発しており、対立組織の関係組事務所に対する拳銃等による襲撃事件も頻発していた。このことは一般にもよく知られていたし、本件殺人事件の現場が対立抗争の関係組織の組事務所であり、かつまた建物の窓等に防御用フェンスを張るといういわば抗争行為に荷担するかのごとき工事内容であることは予め十分わかっていた。したがって、対立組織関係者から敵対組織の関係者と誤認され攻撃されるかもしれない危険が多分に存在することは、当然誰もが認識できた。しかも、本件の場合、亡次郎に対し、手伝いを依頼した太田敏男は、予めその危険を予期して、亡次郎に対しては工事の内容をも事前に説明し、「それでもやってくれるか。」と念押しした上、依頼した。したがって、亡次郎においては、右に述べた危険の存在も敢えて承知の上で現場に臨んだということにならざるを得ないのであるから、格別組関係者でないことを明示することもなく漫然作業に従事していた点をも加味すれば、「ことさらな危険への接近」という点において、部分的であれ、亡次郎について本件の結果発生に自ら寄与した過失を当然考慮して然るべきである。
(三) 右(一)及び(二)に述べた点を本件損害について過失相殺するとすれば、全損害の三割程度を減額するのが相当である。
6 損益相殺
(一) 原告らは、労災保険給付として遺族年金四九万一一三〇円、遺族補償年金前払一時金三二一万円、遺族特別支給金三〇〇万円及び葬祭料三四万六三〇〇円の支払を受けているので、右給付金については損益相殺すべきである(合計七〇四万七四三〇円)。
また、右給付については、労災保険金の給付相当額の請求権が保険者代位により保険者に移っているので、右給付金相当額を代位の法理により控除すべきことを選択的に主張する。
(二) 本件訴訟提起後、被告宮城、被告名嘉及び被告高良から各三〇〇万円合計九〇〇万円の損害賠償が原告らに対してなされているので、右額についても既払分として損益相殺すべきである。
(三) 本件訴訟提起後、本件殺人事件に関する刑事控訴審が係続中の平成五年三月一八日、被告宮城及び被告高良は、原告らに対し、各一〇〇万円合計二〇〇万円を被害弁償金の一部弁償として支払った。右額についても既払分として損益相殺すべきである。
五 被告島袋の主張
1 使用者責任
(一) 使用、被使用の関係
被告高良及び被告宮城は平田組に、被告名嘉は伊志嶺組に所属する組員である。平田組組長の平田望及び伊志嶺組組長の伊志嶺達男は島袋一家の構成員であるが、被告高良、被告宮城及び被告名嘉はそれぞれの所属する組の組員であっても、島袋一家の構成員ではない。
平田望、伊志嶺達男、金城政徳(金城組組長)及び伊礼学(伊礼組組長)は、他の多くの構成員とともに島袋一家を構成していたが、順次組として独立し、その傘下に複数の組員を擁するようになった。しかし、いかなる者を組員とし、組長と組員との関係をどうするかは、専ら組長の責任において行い、格別一家もしくは総長の承認を必要とせず、通知も要しない。したがって、島袋一家の総長である被告島袋は、偶然の機会に組長が同行同席させている者を見て、その者がその組の組員であることを知るのであり、こうした偶然の機会がない限り、当該組にいかなる組員が何名いるかすら知り得ないのが実態である。もちろん、一家もしくは総長が、直接間接を問わず、組員に対し、何かを指示命令することも指揮監督することもなく、できもしない。実際にも、被告島袋は被告名嘉については全く面識がなく、被告高良及び被告宮城についても名前と顔が結び付かない程であった。
かかる関係を前提とすれば、いかなる観点からも、一家総長である被告島袋と末端組員(被告高良ら)の間において、使用・被使用の関係があるとはとうてい言い得ないものである。
(二) 事業該当性
民法七一五条にいう事業とは、一定の業務と言い換えられるところ、島袋一家は総長とその構成員もしくは構成員相互間における信頼と友誼を基調とする団体であって、その本質は一般の親睦団体と何ら異なるところはなく、島袋一家という組織自体には何らの業務性もない。
原告の主張する島袋一家の事業活動は、組織一般に対する先入観と偏見に基づくものであって、何ら理由がない。島袋一家がこれまでも組織として何らかの不法行為を行ったとか、暴力的行為を行った事案があれば格別、各構成員は、それぞれ独立して正業を営んでおり、適法、不適法を問わず、これまで組織として何らかの事業活動を行ったことはなく、かかる事実を証する証拠もない。
もちろん、組織の構成員が何らかの正業を営むについて、仲間の構成員らの助力を得ることはあり得ようが、それこそが友誼団体の友誼団体たるゆえんである。まして他の組織との抗争行為自体が事業であるというにいたっては、暴論以外の何ものでもない。
(三) 事業の執行性
本件殺人事件は、実行行為者である被告高良、被告名嘉及び被告宮城が個人的にも親しくしていた知名及び小浜らが射殺されたり、重傷を負わされた上、被告宮城本人までが狙撃されたことから、かかる攻撃に対する対応行動として行われた要素が強いものの、島袋一家という組織行動ではなく、被告らの個人的報復感情から発せられたゲリラ的行為であった。その限りにおいて、被告らには当然自己防衛の意識はあったと思われるものの、自らが所属する組織、とくに「組」を超えて「一家」を防衛するという意識は全くなかったもので、被告らの行為を一家の職務執行とみることはとうていできない。
2 共同不法行為責任
(一) 本件殺人事件は、確立された相対立する組織間の抗争という性質のものではなく、組織の運営を巡っての組織内の内紛にその発端があった。したがって、沖縄旭琉会という組織も、未だその生成過程にあって組織的な意思決定などなし得る状況にはなかった。
島袋一家についていえば、その組織論からいっても、前記1の(一)で述べたとおり、被告島袋が組長を含む直接の構成員に対し、指示、指揮し得る立場にあり得たといえても、被告高良らの末端組員に対し、指示、指揮し得る立場にはなかった。そもそも被告高良ら実行行為者は島袋一家の構成員とすらいいえない。
被告高良ら実行行為者の意識の中にも、沖縄旭琉会や島袋一家のために本件殺人事件を行ったという感覚はなく、前記1の(三)で述べたとおり、自らや知人友人が襲撃を受けたことへの報復という意味合いが強い。
被告島袋についていえば、本件殺人事件発生当時、総長と親しい照屋一家の事務所に寄宿しており、島袋一家構成員らが主に集合していた伊志嶺組の事務所には出入りしていなかった。一家の取り仕切りは総長の後継者として予定されていた若頭の花城清昌にまかせきりであった。被告高良らの行為についても、マスコミ報道で初めて知ったほどで、被告名嘉については全く面識がなく、被告高良及び被告宮城についても名前と顔が結び付かないほどであった。
(二) 前記(一)に述べたことからすれば、被告島袋が島袋一家の総長として抗争行為についての組織的意思決定をなし、かつ、同決定に基づいて、島袋一家傘下の組をそれぞれ指示、指揮して抗争行為を行ってきたとの原告の仮説は成立しない。そればかりか、具体的な組織の実態、その内部の人間関係、本件発生当時における関係者の行動等を子細に検討するならば、いかなる観点からも実行行為者らと被告島袋の間には共同不法行為が成立する余地はない。
3 損益相殺及び過失相殺
被告富永の主張(前記三の5及び6)を援用する。
六 争点
1 被告宮城、被告高良及び被告名嘉についての不法行為責任の成否
2 被告富永及び被告島袋についての使用者責任の成否
(一) 事業該当性
(二) 職務執行該当性
(三) 使用、被用関係(指揮監督関係)
3 被告富永及び被告島袋についての共同不法行為責任の成否
(一) 関連共同性
(二) 他の要件
4 損害の発生及びその額
5 過失相殺及び損益相殺の可否
第三 争点に対する判断
一 被告宮城、被告高良及び被告名嘉についての不法行為責任の成否
1 前記第二の一の2の争いのない事実に、甲第二ないし第八号証、甲第一二号証、第一三号証及び第二〇号証を加えれば、以下の事実が認められる。
本件一連の対立抗争(後記二の1の(三)参照)の中で、平成二年一〇月三日、島袋一家伊志嶺組組員知名が射殺される事件が起こった。被告宮城は、同じ島袋一家の組員として親交のあった知名が殺害されたことで、知名の仇を討たなければならないと決意し、被告高良も同じ島袋一家の組員としてよく知っている知名が殺害されたことで、仕返しをしなければならないとの気持ちを抱いていたところ、さらに、同月九日には島袋一家金政組組員小浜が、同一家本家事務所前で撃たれ、重傷を負った。被告宮城は、このように立て続けに島袋一家の組員が攻撃を受けたため、その報復として三代目旭琉会側組員を殺害しようと決意し、二二口径の拳銃一丁、三八口径の拳銃一丁とこれらの実包を入手し、さらに、被告宮城は、被告高良が島袋一家の若い組員の中では物怖じしない気骨のある男だと思っていたことから、被告高良に対し、三代目旭琉会側組員に対する報復のため、自分の指示に従って行動する一員となるよう誘いかけ、被告高良は右誘いに応じた。ところで、被告名嘉は、服役中に同じ島袋一家伊志嶺組の兄貴分として慕っていた知名が射殺されたことを知り、沖縄刑務所を出所した翌日である同月二三日、伊志嶺組事務所に出所の挨拶に出向き、抗争の経過を聞いたりして、三代目旭琉会側組員に対して報復しようと考え、同組事務所に詰めることにした。そして、被告宮城は、被告名嘉が島袋一家の若い組員の中で最も気骨のある男と思っていたことから、被告名嘉にも被告高良に対するのと同様の誘いを行い、被告名嘉はこれに応じた。このようにして、被告名嘉と被告高良は、被告宮城の指示に従って一緒に行動するようになり、同月下旬ころ、被告宮城らは、沖縄県国頭郡国頭村の海岸に、被告宮城が入手していた二二口径の拳銃の試射に行き、被告名嘉と被告高良において右拳銃を合計一六発試射した。
二、三日後、被告宮城は、被告名嘉や被告高良に拳銃を持たせ、被告名嘉らに指示して三代目旭琉会側組員を射殺させようと考え、被告高良に三八口径の拳銃一丁と右拳銃の実弾五発の隠し場所を教え、被告高良にこれらを渡した。被告宮城は、知名が殺害されてから一か月が経とうとしており、知名を殺害した一家が判明しなかったものの、早く報復しなければならないとの思いから、被告名嘉や被告高良に三代目旭琉会側の沖島組幹部を襲撃するよう指示した。右指示に基づき、被告名嘉と被告高良は、被告高良が拳銃を持ち、沖島組幹部の内妻のアパートを一週間位張り込んだが、同幹部が現われなかったため、被告宮城の指示でこの襲撃は中止された。
これまで被告名嘉と被告高良は二台のオートバイで行動していたが、同年一一月五日ころに、被告名嘉はオートバイ事故を起こして両手首を負傷し、オートバイの運転ができなくなり、これ以後、オートバイは被告高良が運転し、その後ろに被告名嘉が乗って行動し、拳銃は被告名嘉が撃つことになった。
その後も、被告名嘉と被告高良は、被告宮城の指示で、那覇市港町にあるマンションの前に停まっていた車に乗り込む男を襲撃しようとしたり、また、同市字古島に停まっていた三代目旭琉会丸良一家幹部のものと把握していた車に乗り込もうとする男を襲撃しようとしたりした。
同月二〇日ころの夜、被告名嘉及び被告高良は、同県国頭郡大宜味村の海岸に、被告宮城から渡された右三八口径の拳銃の試射に行き、被告高良が知り合いの暴力団組員から譲り受けた実包を使い、被告名嘉が一発試射した。
同月二一日昼ころから、三代目旭琉会錦一家の事務所前に停まっていたランドクルーザーが被告宮城らの詰めている伊志嶺組事務所の前を何度も通るなど、挑発的行為があったため、被告宮城は、被告名嘉と被告高良に、伊志嶺組事務所のすぐ近くにある錦一家の本家事務所や別館事務所を襲わせて、同一家組員を殺害しようと考え、同日夕方、被告名嘉と被告高良を那覇市前島三丁目二五番二五号那覇港泊埠頭船着場に呼び出し、両名に対し、右船着場付近で待機し、ポケットベルの合図に従い、錦一家事務所にオートバイに乗って行き、組員を拳銃で射殺するよう指示した。その際、被告宮城が錦一家事務所の様子を伺い、被告名嘉らにポケットベルの数字番号により襲撃又はその中止を合図するとのことであったので、被告名嘉と被告高良は、襲撃の合図があれば、その指示どおり錦一家組員を殺害する意思を固め、同所で待機した。被告宮城は、伊志嶺組事務所に戻り、事務所の近くから錦一家本家事務所の様子をうかがっていたところ、同事務所から組員らしい七、八名の男が出てきたので、被告名嘉らに対し、ポケットベルで襲撃を指示したものの、襲撃の指示を出したことにおじけつき、再びポケットベルで襲撃を中止させた。その襲撃を中止した後、被告宮城は伊志嶺組事務所の見回りのため、組員と共に同組事務所近くの路上に立っていた際、近くに停車した車から一発発砲されたが、危うく難を逃れた。
翌二二日、被告宮城は、前日自分が狙われたこともあり、今日こそは錦一家組員を必ず襲撃しようと決意し、午後四時ころ、被告名嘉及び被告高良に右船着場付近で待機するよう指示し、そして、組員の運転する車で、那覇市前島三丁目一〇番一四号にある錦一家別館事務所前等を偵察し、同事務所前に組員らしい者が四、五名出ているのを確認した上、右船着場に行き、待機していた被告名嘉及び被告高良に襲撃を指示した。そこで、被告名嘉と被告高良は錦一家組員を拳銃で射殺するため、被告名嘉がオートバイの後部座席に座り、実包五発が込められた右三八口径の拳銃の入ったウエストバッグを腰に巻き、被告高良がオートバイを運転して錦一家別館事務所に向かった。
同日午後六時ころ、被告高良がオートバイを運転し、被告名嘉がその後部座席に乗り、那覇市前島三丁目一〇番一四号所在の錦一家別館事務所前を通過する際、被告名嘉が、同事務所前歩道上で同事務所の窓にフェンスを張る工事をしていた亡次郎の姿を見て、とっさに亡次郎が錦一家の組員であると思い込み、亡次郎を殺害することとし、同事務所前路上において、所携の右三八口径の拳銃で、亡次郎に対して銃弾二発を発射し、その頭部に命中させた。亡次郎は、同日午後六時二〇分ころ、沖縄県立那覇病院で右射撃による脳損傷により死亡した。
また、亡次郎に対する発砲に引き続き、同日午後六時ころ、那覇市前島三丁目一〇番一七号所在の石原駐車場前路上において、被告名嘉が、さらに駐車場にいる組員をも殺害することとし、同所にいた三代目旭琉会丸良一家山川組幹事屋比久猛及び三代目旭琉会会長付組員儀保徳市の両名に対し、数メートルの距離から、所携の三八口径の拳銃で銃弾二発を発射したが、命中しなかった。
2 前記1認定の事実によれば、被告名嘉は民法七〇九条により、被告高良及び被告宮城は民法七〇九条及び七一九条により、本件殺人事件について不法行為責任を負うことは明らかである(なお、右被告らは、第四回口頭弁論期日において、原告らに対し、本件殺人事件について損害賠償金の支払義務のあることは認めている。)。
二 被告富永及び被告島袋についての使用者責任の成否
1 沖縄旭琉会の実態
(一) 沖縄における暴力団抗争
甲第二一号証、第二九号証、証人冨里弘の証言及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。
(1) 第一次抗争事件
沖縄県内における組織暴力団の結成は、昭和二七年ころにさかのぼる。
戦後、駐留米軍の物資の掠取と横流しをしていた不良グループの中から頭角を現すようになった喜舎場朝信(以下「喜舎場」という。)は、昭和二七年ころ、コザ市を本拠地として総勢約七〇人位からなる組織暴力団「コザ派」を結成し、自ら首領となった。
これに対抗する形で、那覇市を中心として、ゆすり、たかり、賭博等を常習とする不良少年の一人であった又吉世喜(以下「又吉」という。)は、那覇市を本拠として総勢約七〇人位からなる組織暴力団「那覇派」を結成し、自ら首領となった。
昭和三六年九月、コザ派が勢力拡大と資金源開拓を目論み、那覇派の縄張りである那覇市に進出を図ったことから、両派の関係は一挙に険悪化して対立抗争へと発展した。コザ派幹部新城喜史(以下「新城」という。)、宮城兼和らは、那覇派首領の又吉を自宅から拉致して旧米軍用西原飛行場跡に連れ込み、集団暴行を加えて瀕死の重傷を負わせた。
昭和三七年一一月一三日、コザ派は、那覇派首領の又吉を殺害するため、当時コザ派と友誼関係にあった酒梅組系石井組小桜一家の幹部ら四人を殺し屋として雇い入れ、与古田徳重、仲間誠昇らを案内役につけて、又吉を那覇市の自宅付近で待ち伏せして拳銃を乱射、射撃したが、瀕死の重傷を負わせたにとどまり、殺害計画は失敗に終わった。同年一二月二二日、喜舎場らコザ派幹部多数は、布令違反等で検挙され、抗争は収束した。
(2) 第二次抗争事件
那覇派首領の又吉は、昭和三九年四月、腹心である同派の幹部田場盛孝(以下「田場」」という。)の分派を承認し、田場は、宣野湾市普天間歓楽街を本拠に「普天間派」を組織した。
昭和三九年一一月、コザ派は、那覇派との抗争事件により厳しい取締りを受け、首領・幹部らが大量に逮捕されて統制力を失って組織が弱体化し、幹部の処遇問題に端を発して内紛が発生した。これを契機に、コザ派は、「山原派」(首領は新城)、「泡瀬派」(首領は喜屋武盛晃)に分裂した。
右山原派、泡瀬派は、分裂当初から縄張りに絡んだ争いが絶えず、昭和四〇年八月二八日の山原派組員松茂良弘らによる泡瀬派組員大城邦夫殺害事件を契機に、抗争がエスカレートしていった。
昭和四一年四月一〇日、山原派のシマである石川市の歓楽街において、那覇派組員久高章が泡瀬派組員仲村義光らに殺害されたことが発端で、静観の態度を取り続けた那覇派にも抗争が飛び火した形となり、那覇派は普天間派とともに山原派に組するようになって、三派連合対泡瀬派の対立抗争事件へと発展した。沖縄の本土復帰前の警察本部の総力を結集した強力な取締りにより、同抗争は、昭和四二年一月、泡瀬派を壊滅して収束した。
(3) 第三次抗争事件
昭和四二年一〇月、那覇派、普天間派及び山原派の三派は、壊滅した泡瀬派のシマの分配を巡って対立するようになった。普天間派は、那覇派と山原派との取り決めたシマに不満を唱え、那覇市やコザ市に勢力拡張を図ったことから、那覇派、山原派対普天間派の抗争事件へと発展した。
しかし、同年一〇月一九日、普天間派首領の田場が那覇派組員安里信光らに射殺されたことにより、同月二五日、普天間派は壊滅した。
(4) 第四次抗争事件
那覇派と山原派は、沖縄の本土復帰を目前に控え、本土暴力団の県内進出阻止と組織防衛を図ることを目的に大同団結し、昭和四五年一二月八日、連合旭琉会を結成した。その初代会長に山原派幹部の仲本善忠(以下「仲本」という。)が就任し、両派の実権を握る山原派首領の新城及び那覇派首領の又吉がそれぞれ理事長となった。
昭和四九年九月二〇日、組織の統制を乱したということで、旭琉会から絶縁処分に付された理事の上原一家組長上原勇吉の配下組員八名が、那覇市辻町の歓楽街において、旭琉会幹部十数名に暴行される事件が発生した。この事件は、旭琉会と上原一家との対立抗争事件へと進展した。
すなわち、同年一〇月二四日、宣野湾市真栄原在のクラブにおいて、遊興中の旭琉会理事長新城は、上原一家組員日島稔らによって拳銃で射殺され、同席していた上里忠盛も負傷した。同年一一月九日には、上原一家幹部山城朝英が糸満市喜屋武岬において、旭琉会組員知念正徳らに殺害された。
翌年一〇月一六日、旭琉会理事長又吉は、那覇市識名霊園入口において、上原一家組員平良芳昭らにより報復射殺された。これに激怒した旭琉会幹部らは、同年一一月一五日、上原一家組員三名を国頭村楚洲山中に拉致して射殺し、同山中に埋めた。昭和五一年一〇月、旭琉会会長の仲本は、右楚洲山中における上原一家組員三名殺害、死体遺棄事件の最高指揮者として逮捕された。
ところで、旭琉会と対立抗争中の上原一家が、昭和五一年一二月、広域暴力団山口組系大平組に加入し、さらに上原一家に同調する東亜友愛事業組合沖縄支部仲本政弘が、同支部を脱会して、山口組系大平組内吉川組と交杯して、正式に山口組の傘下に入り、両者とも山口組の代紋を掲げて活動するようになった。
右動きに対抗して、新城及び又吉の両理事長を殺害された旭琉会は、同年一二月一七日、仲本を更迭し、若手行動派の幹部多和田真山(以下「多和田」という。)を新会長に据え、理事長以下執行部の幹部を若手の実力者で固めるなど組織の強化を図るとともに、組織名称を沖縄旭琉会に改称し、山口組と対決した。このころ、被告富永が沖縄旭琉会の幹事長に就任した。
(5) 第五次抗争事件
昭和五二年一月二五日、那覇市久茂地在の上原組琉真会事務所近くで、偵察していた旭琉会組員金城明が、上原組組員に拉致されて豊見城村内で集団暴行を加えられ、旭琉会大幹部らの同行を詰問されるという事件が発生した。それを契機に同年三月四日、琉真会事務所に対する拳銃乱射事件、同年五月一八日に那覇市牧志における上原組組員玉城正射殺事件、同年八月一〇日に琉真会事務所付近で警戒中の警察官に対する旭琉会組員東大浜貴等五名によるカービン銃乱射殺人未遂事件等、双方の間に二三回にわたる抗争事件が発生した。
昭和五三年四月、沖縄県警察本部(以下「県警」という。)は総力を結集した対立抗争事件の防圧対策と併せて、積極的攻めの対策へと転じ、相対立する双方の首領等中枢幹部の逮捕隔離を目的とする的割頂上作戦を展開し、旭琉会会長多和田、理事長座安久市、本部長羽地勲、事務局長金城正雄等のほか、上原組琉真会の組長を逮捕した。併せて資金源の枯渇作戦と銃器類の摘発作戦をすすめたところ、同対策が功を奏して、両組織は大打撃を受け、二年余にわたる対立抗争事件はここに収束した。
対立抗争事件の収束を契機に、昭和五三年九月、沖縄旭琉会は、二代目旭琉会へと改称し、被告富永は理事長に就任した。
多和田会長は、本土暴力団にならって親分子分の盃事、いわゆる擬制的血縁制度を導入し、組織内部の統制と結束を固めるとともに、多和田体制を強固なものとするために、昭和五四年一二月二一日、那覇市内の料亭において、神戸に本拠を置く大嶋組に取持ち人を依頼し、多和田会長を親、各理事長を子とする盃事を行った。ついで、翌年一〇月一日には、かねて親交のあった稲川会の組織に見習い、一家総長制と上納制度を取り入れた組織の改編強化を図った。
ところが、多和田会長は、昭和五七年一〇月九日、沖縄市内のスナックにおいて飲食中、かねてから縄張り区画等に対する不満から同会長殺害を企図していた旭琉会富永一家の幹部により拳銃で射殺された。そのため会長派と理事長被告富永派が対立し、一触即発状態になった。しかし、県警の総力を結集した強力な警告、取締りにより抗争は未然に防止された。
昭和五八年一月一〇日の旭琉会総長会議における話合いの結果、三代目会長の跡目は当分の間据え置き、会長代行に翁長が決定された。その後の同年五月一〇日の総長会議において、三代目旭琉会の会長に翁長が決定され、現在に至っている。
同会は、このたびの沖縄旭琉会の分裂に至るまでは、翁長を会長とする一五の一家から構成され、その構成員は約一二〇〇人を擁する県内最大の組織暴力団であった。
(二) 三代目旭琉会の分裂と沖縄旭琉会の結成
甲第一七号証、第一八号証、第二一号証、第二八号証、第二九号証、乙イ第一号証、証人大城俊文の証言及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。
(1) 三代目旭琉会は対外的には平静を保っていたが、五代目山口組の組長渡辺芳則が、平成二年三月二四日、那覇空港において県警によって入県を阻止された事件の対応策を巡って、会長翁長派と理事長被告富永派との間で対立が生じた。そして同年五月の総長会において、会長翁長が山口組と五分の親戚付き合いをするという意向を示したのに対し、辻一家総長の泉操が席上反発したため、同会長の独断で同総長が絶縁処分とされた。
さらに、会長付幹部に対し、富永一家組員が拳銃を向けるトラブルが起きた。これに対し、同会長付幹部が所属する大城一家総長大城孝章が適切な対応をとらなかったことに翁長会長が怒り、それについて大城一家総長の依頼により理事長の被告富永が翁長会長に意見したことから、同年五月にはますます翁長派、被告富永派への分裂動向が見られるようになった。双方とも拳銃発砲等の抗争事件を起こさなかったものの、那覇市牧志在の会長翁長宅、沖縄市諸見里在の理事長被告富永宅に組員多数が集結し、さらには組事務所の窓に鉄板を張り巡らす等の措置が講じられた。
(2) その後同年五月八日、内紛の当事者でもあった会長付幹部の組事務所から拳銃が押収されたり、同年七月二〇日には、内紛時に主流派から反主流派に寝返った丸長一家巴組幹部与那満が拳銃所持で逮捕されたりした。押収された拳銃にはすぐにも発射できる状態で実弾が装填されたままであった。
こうした中で、同年五月の内紛時に主流派の丸長一家から反主流派の被告富永一家に鞍替えした巴組組長の金城宏が、配下組員と共謀の上、同年九月一三日の白昼、那覇市西二丁目所在の光国産業へ押し掛け、丸長一家総長仲程光男を殺害しようとしたが、同総長が不在であったため、同人の実弟で丸長一家幹部の仲程盛昌に対して至近距離から拳銃を発射するという殺人未遂事件が発生した。
(3) 沖縄県においては、昭和六三年一〇月の琉球銀行屋慶名支店における拳銃使用強盗事件以来約二か年振り、暴力団同士のものとしては昭和六二年六月の沖縄市胡屋在のパブラウンジ・スペインにおける拳銃発砲事件以来、三年三か月振りの拳銃発砲事件の発生であった。
主流派(翁長会長派)は、この事件は反主流派(被告富永派)の主流派に対する拳銃発砲事件であり、しかも寝返った組員による犯行であったことから、組織的な犯行で反主流派からの宣戦布告だと断定した。
しかし、反主流派は、同事件はあくまでも行為者金城宏と命を狙われた仲程光男の個人的事件であり、宣戦布告ではないとして、事件当日直ちに、組織の参与等を通じて右会長への理解を求めようと働きかけたり、本土で手術のため入院していた理事長被告富永自身が電話でこの事件を同会長に説明しようとするなどしたが、同会長から「本件は反主流派の組織的犯行である。」と決め付けられ、弁解を拒絶された。
翁長会長派は、同年九月一九日をタイムリミットとして、「被告富永は堅気になるか、引退するかのどちらかをとれ。」と迫ると同時に、その回答を得ることなく、九月一七日、理事長の被告富永、富永一家若頭上江洲丈二、前記殺人未遂事件の実行者金城宏の三人を絶縁処分にした。
これに対し、被告富永一家を中心とする反主流派は、同年九月一九日付けで、一〇名の総長連名の上で、逆に三代目旭琉会に対して、脱会書を提出した。そして脱会した被告富永らは、脱会者による新組織の名称を沖縄旭琉会とすることを宣言した。
(三) 対立抗争事件の発生
甲第一四号証、第二六号証、第二八号証、証人大城俊文の証言及び弁論の全趣旨によれば、被告富永らの三代目旭琉会脱会の後、以下の抗争事件が発生した(以下「本件一連の抗争事件」という。)ことが認められる。
(1) 平成二年九月二一日午前一〇時二〇分ころ、那覇市東町で主流派三代目旭琉会丸長一家沖島組組員三名が乗用車で反主流派久茂地支部事務所を偵察中、同事務所から出て来た数名の組員に襲撃され、さらに乗用車で追跡され拳銃で発砲される事件が発生した。さらに同日午後九時二〇分ころ、沖縄署管内において、反主流派組員によると思われる主流派座安一家本家事務所に対する拳銃発砲事件が発生し、続いて同九時四五分ころ、沖縄市照屋三丁目二七番二〇号味処「とんきん」前で主流派と目される者による反主流派大城一家組員大城淳に対する拳銃使用殺人未遂事件、同一〇時四五分ころ、同じく主流派組員による犯行と思われる反主流派上里一家本家事務所に対する拳銃発砲事件が立て続けに発生した。
(2) さらに、続いて翌日の九月二二日深夜から、二三日未明及び早朝にかけて、反主流派組員によると思われる沖縄市照屋三丁目二八番五号の主流派座安一家本家事務所に対する拳銃発砲事件、同じく反主流派組員によると思われる沖縄市松本二丁目一三番二〇号の主流派錦志一家内誉会事務所に対する拳銃発砲事件、主流派組員によると思われる沖縄市上地二九二番地の反主流派富永一家中の町支部事務所に対する拳銃発砲事件、同じく主流派組員によると思われる沖縄市中央一丁目二一番七号の反主流派上里一家本家事務所に対する拳銃発砲事件計四件の事件が続発した。
(3) 同年九月三〇日午後五時過ぎには、主流派組員が、那覇市辻に所在する反主流派沖縄旭琉会照屋一家事務所に火炎瓶を投げ込み、さらに、拳銃を発射する事件が発生した。
(4) 同年一〇月三日午前四時ころ、宜野湾市真栄原新町飲食街近くの路上で、対立する組員らの動静を偵察に来た反主流派沖縄旭琉会島袋一家組員の知名が射殺される事件が発生した。
また同日、主流派三代目旭琉会丸良一家組員が、東京行き全日空機に爆発物を持ち込み逮捕される事件も発生した。同組員は、本土から爆発物を反主流派に郵送する目的で右飛行機に爆発物を持ち込んだものであった。
(5) 同月五日午後一一時ころ、反主流派組員が三代目旭琉会丸良一家総長宅のあるビルに拳銃を乱射する事件が発生した。また同時刻ころ、主流派の経営するサウナに拳銃が発射される事件も併発した。
(6) 同月六日、右丸良一家組員が総長宅前で不審車両を発見して、車二台で追跡し、午前五時過ぎころ不審車両を挟み撃ちにしたが、不審車両から拳銃を発射されて見失うという事件が発生した。
(7) 同月七日午前五時ころ、石川市内において、反主流派沖縄旭琉会伊波一家事務所に拳銃が発射される事件が発生した。
(8) 同月八日午前九時ころ、具志川市内の同市商工会議所前路上で主流派三代目旭琉会錦志一家組員が反主流派の組員に撃たれて重傷を負う事件が発生した。
(9) 同月九日午前四時過ぎ、那覇市内の桜坂中通りにある沖縄旭琉会島袋一家組員の小浜が、腹部を撃たれて重傷を負う事件が発生した。同日午後五時過ぎには、沖縄旭琉会富永一家組員が具志川市内の主流派が経営する事務所に乗り込み、主流派錦志一家組員を拉致する事件が発生した。
(10) 同月一〇日午後三時過ぎ、主流派組員が沖縄市内の沖縄旭琉会富永一家事務所に車で乗りつけ、拳銃を発射する事件が発生した。
また同時刻ころ、富永一家組員の運転する自動車にオートバイから拳銃が発射される事件も併発した。
(11) 同月一一日午前四時ころ、那覇市内の沖縄旭琉会金城一家の事務所に四トントラックが突っ込むという事件が発生した。
(12) 同月一二日午前六時ころ、那覇市内の沖縄旭琉会照屋一家事務所入口に立っていた組員が、オートバイで乗り付けた主流派組員に撃たれて死亡する事件が発生した。
同日午前五時過ぎには、名護市内において、駐車中の大型トレーラーを反対派事務所に突っ込む目的で盗んだ組員が逮捕される事件も発生した。
(13) 同月一三日午前零時ころ、沖縄市内の三代目旭琉会座安一家の事務所前で同組員が背中を拳銃で撃たれて重傷を負う事件が発生した。
同日午前三時ころには、那覇市内の三代目旭琉会丸長一家事務所に火炎瓶が投げられる事件も発生した。
(14) 同月一五日午後九時ころ、那覇市内の那覇ショッピングセンター前路上で三代目旭琉会丸長一家組員が乗った乗用車が、背後から来た車から発砲される事件が発生した。
(15) 同月一八日午前四時過ぎ、北谷町の県道二三号線で信号待ちをしていた三代目旭琉会大日本維新党組員の車に対して反主流派組員が拳銃を発砲する事件が発生した。
(16) 同月二五日午前零時ころ、沖縄市内の路上で、反主流派組員の運転する車が、三代目旭琉会丸長一家組員の乗った車を目掛けて衝突する事件が発生した。
同日午後八時過ぎ、那覇市内の三代目旭琉会丸長一家の総長宅横で、車に防弾ガラスを取り付けていた丸長一家組員が反主流派組員に撃たれて受傷する事件が発生した。
(17) 同年一一月一六日午前三時過ぎ、那覇市内の路上で客待ちをしていた三和交通系列のタクシーに拳銃が発射される事件が発生した。
(18) 同月二二日午後六時ころ、本件殺人事件が発生した。
(19) 同月二三日午後一一時ころ、沖縄市内において暴力団を警戒中の警察官二名が、暴力団から発砲されて死亡し、同事件を目撃した市民一人も銃撃されて受傷する事件が発生した(以下「警察官殺害事件」という。)。
(20) 同月二五日午後一一時過ぎ、浦添市城間のテナントビル内で三代目旭琉会嘉手刈一家の組員二名が、本土から主流派の支援に入った組員から発砲されて死亡する事件が発生した。
(21) 平成三年八月二〇日午前三時三〇分ころ、沖縄市諸見里の反主流派沖縄旭琉会富永一家本家事務所内で、当番として警戒にあたっていた組員が、主流派組員及び支援の山口組系組員両名に拳銃で撃たれて死亡する事件が発生した。
同日午前五時三〇分ころには、那覇市牧志在の三代目旭琉会の翁長会長宅に、二人乗りオートバイから拳銃三発が撃ち込まれる事件が発生したが、それは右死亡事件への報復と目されている。
(四) 組織実態
(1) 甲第二号証、第二一号証、第二三号証、第二七号証ないし第二九号証、第三七号証及び証人大城俊文の証言によれば、以下の事実が認められる。
沖縄旭琉会は三代目旭琉会と同様、一家総長制を採用している。すなわち、沖縄旭琉会においては、本部の傘下に一家があり、さらに一家の傘下に組が置かれている。同会の構成員は、会長、最高顧問、会長代行、理事長、副会長、本部長、役付きでない総長(傘下組織である一家の長)、組織運営委員、理事、幹事及びその他の組員に分かれている。そして会長代行、理事長、副会長、本部長は一家の総長でもあり、組織運営委員以下の構成員は、それぞれ傘下の一家又は組に属している。
沖縄旭琉会の傘下組織については、総長以上の者を長とする一二の一家があり、さらにその一家の幹部(沖縄旭琉会の組織運営委員、理事等の地位にある者)が長となる組がある場合がある。
具体的には、会長被告富永の下に、会長代行羽地勲、理事長上里忠盛等を最高幹部として、本家(会長富永清)、二代目富永一家(総長上江洲丈二)、島袋一家(総長被告島袋)、山友一家(総長山城宏)、功揚一家(総長羽地功)、上里一家(総長上里忠盛)、二代目照屋一家(総長永山克博)、金城一家(総長金城春男)、伊波一家(総長伊波義雄)、大城一家(総長大城孝章)、辻昌一家(総長喜納信昌)、永山一家(総長永山盛幸)の計一二の一家で構成されている。
被告富永は、三代目旭琉会時代には富永一家総長であったところ、沖縄旭琉会結成の段階で一家の総長の地位から離れて会長となった。そして、会長の護衛役として、傘下組織の富永一家六名の構成員が、会長付(会長護衛)としてついているほか、各傘下組織から、交代で三名の会長当番がついている。
沖縄旭琉会の傘下組織においては、例えば、沖縄旭琉会島袋一家というように、同会の名称を冠してそれぞれの名称を名乗り、名刺や絶縁状等にも同会の名称及び代紋を使用している。また、同会が沖縄旭琉会名義で作成している他の暴力団にあてた書状においては、右組織運営委員以上の者が名を連ねるとともに、それ以外の者については、「理事一同」、「幹事一同」、「組員一同」と記載されている。
沖縄旭琉会の組織運営機関として、総長会、組織運営委員会、理事長会等があり、それぞれ各一家から選出、推薦された委員、理事等によって構成されている。
総長会は、会長及び各一家の総長によって構成されている。そこでは、総長、組織運営委員、理事等の昇格、総長等の破門、絶縁といった組織の人事に関する事項、対立抗争の際の対応方針、友好関係に立つ暴力団の選定、他の暴力団の行う冠婚葬祭等の儀式に対する出席者の決定という他の暴力団との関係に関する事項、暴村法対策等の警察との関係に関する事項等の重要事項についての協議がなされ、総長会の場において会長により最終的な意思決定がされる。そして総長会で決定された運営方針は、総長を通じて傘下組織構成員に指示され、又は組織運営委員会等で伝達され、各組織運営委員等を通じて、傘下組織構成員に伝達される。さらに、組の幹部は、それらの指示事項等について、自己の配下組員に対し、指示を行い、各組員は、右指示を順守している。
組織運営委員会は、各一家から三名ずつ選出された組織運営委員で構成され、各一家内における沖縄旭琉会の運営方針等についての意見、要望を集約して総長会に報告したり、総長会において決定された事項を伝達して、傘下組織に対して徹底するように指示すること等をその役割とする。
理事会、幹事会は、理事、幹事によって構成され、定期的に開かれるものではなく、当番に当たる総長が出席して、総長会で決定した事項を伝えるものである。
新規に加入する構成員は、沖縄旭琉会の傘下組織に属することにより、同会の構成員となるのであり、加入は各傘下組織の長の裁量に委ねられている。そして、脱退、排除については、傘下組織の長により、破門、絶縁等の処分が科され、その際には、処分を受けた者が、今後、沖縄旭琉会及び当該傘下組織と関係のないことを記載し、沖縄旭琉会の代紋の印刷された絶縁状等が関係暴力団に発送される。総長以上の者に対しては、総長会に諮って会長名で処分が行われる。
島袋一家は、沖縄旭琉会を構成する一家の一つとして、総長の被告島袋を最高責任者として、その下に若頭(花城清昌)、行動隊長(親里孝正)、事務局長(與那覇照雄)、幹部(三人)の各役職がおかれている。さらに島袋一家は本家付の他、平田組、伊志嶺組、金政組、伊礼組の四つの組があり、組には組長や幹部がいて、その下に一般組員がいる。
(2) この点、乙イ第四号証、第五号証及び第一三号証並びに被告富永本人の供述中には、被告富永が沖縄旭琉会はあくまでも各一家を代表した総長の集まりにすぎず、傘下団体の構成員は沖縄旭琉会の構成員ではないとの記載及び供述がある。
しかし、右供述等は、乙イ第五号証によれば、被告富永自身、各一家の構成員が沖縄旭琉会の人間であると名乗っていることを知っており、これを禁止する指示を出したことはない旨証言したことが認められること、一家総長制の制度趣旨及び各構成員が沖縄旭琉会の威力を利用して後記(五)のとおり種々の活動を行っていること、後記(六)のとおり指定暴力団としての指定を受けていることに照らし、採用できない。
また、乙ハ第一号証及び被告島袋本人の供述中には、島袋一家の構成員は傘下組織の組長に限られる旨の記載及び供述があるが、右に述べたのと同様の理由により、採用できない。
(五) 活動実態
甲第二二号証、第二四号証、第二五号証、第二八号証及び第三七号証によれば、以下の事実が認められる。
沖縄旭琉会の構成員は、相手方に沖縄旭琉会の名称を告げるなどして、債権取立て、みかじめ料徴収、飲食店等に対する物品の購入、リースの要求、慰謝料名下の金員要求、交通事故示談介入といった違法、不当な資金獲得行為を行っている。平成二年一〇月から平成四年四月までの間で、沖縄旭琉会の構成員が、このような資金獲得のために恐喝等の犯罪行為を犯し、又は資金獲得行為の過程で傷害等の犯罪行為を犯したため、警察に六名が検挙された。そのほかにも、被害相談等により県警が把握している沖縄旭琉会構成員の威力を利用した資金獲得行為は六三件、人員は延べ九四人に上っている。平成四年三月一〇日以前五年間における沖縄旭琉会構成員の威力利用資金獲得行為の実態を調査すると(分裂前の三代目旭琉会当時に、現沖縄旭琉会構成員が行った行為を含む。)、検挙件数五四件、人員は延べ七二名に、被害相談等により県警が把握している威力利用資金獲得行為件数は三五八件、人員は延べ六〇九名に上っている。
また、沖縄旭琉会の構成員が、一般人に対し、不法行為を敢行し、警察に通報されたことに対して、その仕返しとして暴力を振るったり、さらには事件の被害者に被害届を取り上げるよう強要する等、お礼参りを行い、検挙された例もある。
さらに、本件一連の抗争事件において、本部事務所及び傘下組織の事務所を金網等で防護し、サーチライト、テレビカメラを設置する等し、構成員等を常時事務所に詰めさせて警戒した。また、本件一連の対立抗争に関連して、けん銃一三丁が押収された。
(六) 法的実態
暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律(以下「暴対法」という。)二条は、暴力団を「その団体の構成員(その団体の構成団体の構成員を含む。)が集団的に又は常習的に暴力的不法行為等を行うことを助長するおそれがある団体」と規定する。
そして、同法三条は、暴力団としての指定処分の要件として、「名目上の目的のいかんを問わず、当該暴力団の暴力団員が当該暴力団の威力を利用して生計の維持、財産の形成又は事業の遂行のための資金を得ることができるようにするため、当該暴力団の威力をその暴力団員に利用させ、又は暴力団員が利用することを容認することを実質上の目的とするものと認められること(目的要件)」、「国家公安委員会規則で定めるところにより算定した当該暴力団の幹部である暴力団員の人数のうちに占める犯罪経歴保有者の人数の比率又は当該暴力団の全暴力団員の人数のうちに占める犯罪経歴保有者の人数の比率が、暴力団以外の集団一般におけるその集団の人数のうちに占める犯罪経歴保有者の人数の比率を超えることが確実であるものとして政令で定める集団の人数の区分ごとに政令で定める比率(当該区分ごとに国民の中から任意に抽出したそれぞれの人数の集団において、その集団の人数のうちに占める犯罪経歴保有者の人数の比率が当該政令で定める比率以上となる確率が一〇万分の一以下となるものに限る。)を超えるものであること(比率要件)」及び「当該暴力団を代表する者又はその運営を支配する地位にある者の統制の下に階層的に構成されている団体であること(団体要件)」を規定している。
また、暴対法四条は、当該暴力団を構成する暴力団の全部又は大部分が指定暴力団であるとき、あるいは、当該暴力団の暴力団員の全部又は大部分が指定暴力団の代表者等であるときは、指定暴力団連合として指定することとし、同法三条の指定暴力団と区別している。
甲第三七号証によれば、沖縄旭琉会は、平成四年六月二六日付けで、暴対法三条の規定に基づき、指定暴力団として指定されたことが認められる。
2 暴力団における事業
沖縄において組織暴力団が銃器を使用した抗争事件を度々引き起こしてきたこと(前記1の(一))、三代目旭琉会が本土の暴力団といかなる関係を持つか等の組織の運営方針を巡る争いから分裂し、被告富永らが沖縄旭琉会を旗揚げしたこと(前記1の(二))、沖縄旭琉会は一家総長制の採用、代紋の使用など暴力団にしばしば見られる組織形態を採用していること(前記1の(四))、沖縄旭琉会構成員が沖縄旭琉会の名称を使用して恐喝行為等を行っていること(前記1の(五))、同会が暴対法に基づく指定暴力団であること(前記1の(六))を併せ考えると、沖縄旭琉会は、社会的実態及び実定法規定の両面において、その威力の利用を本質として経済的利益の獲得のため種々の活動を行う団体と位置づけられる。また、沖縄旭琉会の前記組織形態からすると、同会及び同会の第二次組織である島袋一家は、社団性の認められない組織体というべきである。したがって、沖縄旭琉会の会長である被告富永及び同会の第二次組織の島袋一家の総長である被告島袋における事業とは、沖縄旭琉会の威力を利用し、その生計の維持、財産の形成、事業の遂行のため、資金を得るために行う仕事全般と解するのが相当である。
この点、被告らは、沖縄旭琉会及び島袋一家は総長とその構成員もしくは構成員相互間における信頼と友誼を基調とする団体であって、その本質は一般の親睦団体と何ら異なるところはなく、沖縄旭琉会及び島袋一家という組織自体には何らの業務性もない旨主張し、乙イ第四号証、第五号証及び第一三号証、乙ハ第一号証並びに被告富永及び被告島袋各本人の供述中にはこれに沿う記載又は供述がある。しかし、前記1の(四)及び(五)に認定した沖縄旭琉会の組織実態及び同会構成員の活動実態からすれば、右主張は採用することができない。
3 本件殺人事件の職務執行性
(一) 抗争行為の事業該当性(抗争行為が事業のための仕事といえるか)
沖縄において暴力団がしばしば銃器を使用した抗争事件を引き起こしてきたこと(前記1の(一))、沖縄旭琉会構成員の活動実態(前記1の(五))、暴対法の規定及び沖縄旭琉会が指定暴力団であること(前記1の(六))を併せ考えると、指定暴力団たる沖縄旭琉会は、当該暴力団の威力をその構成員に利用させ、また、構成員が利用することを容認することを実質上の目的とし、さらには、幹部構成員のうちに占める犯罪経歴保有者の占める比率が一般市民集団に比して高率なのであって、構成員の多くが犯罪経歴を有すること等に基づく暴力団の威力をその存立基盤とするものと考えられる。そして右のような沖縄旭琉会の威力の存在は、沖縄旭琉会の存立目的に照らせば、必要不可欠なものといえる。
そこで、他の暴力団との抗争行為の事業該当性をみると、敵対する暴力団組織と抗争することは、存立目的上必要不可欠な自己の組織の威力の維持、防衛、拡大につながるのであって、組織の存立及び事業の遂行を行う上で必要な行為であり、事業に該当するものといえる。したがって、暴力団組織同士の抗争行為は当該暴力団、すなわち、被告富永及び被告島袋の事業に該当すると解すべきである。
本件一連の抗争事件に至る経緯を見ると、従前から三代目旭琉会内部において会の運営方針を巡る対立関係があったところ、平成二年九月一三日の殺人未遂事件を契機として、翁長会長が被告富永理事長を絶縁処分とし、これに対抗する形で、被告富永らが沖縄旭琉会を旗揚げしたものということができる(前記1の(二)参照)。右分裂経過に照らせば、本件一連の抗争行為は、暴力団構成員同士の単なる私闘にとどまらず、沖縄旭琉会の構成員が、三代目旭琉会在籍当時に保有した威力及び利権を三代目旭琉会から維持防衛するために当該組織の存立確保のために遂行された事業であることを推認することができる。
(二) 本件殺人事件の職務執行性
甲第四号証、第七号証及び第二〇号証によれば、被告高良、被告名嘉及び被告宮城が報酬金や組織での地位の上昇等の報奨を期待して本件殺人事件に及んだこと、乙イ第一九号証によれば、被告名嘉が本件殺人事件についての報酬金が少ないことに不満を抱いたことが認められるのであって、前記1の(二)に述べた本件一連の抗争事件に至る経緯、本件殺人事件が本件一連の抗争事件が生じている最中に発生したこと及び被告宮城らが組織を脱会して本件殺人事件に及んだわけではないことを併せ考えると、被告宮城らが組織同士の対立抗争の一環として行動したことを推認することができ、本件殺人事件は、被告宮城らが被告富永及び被告島袋の業務を遂行する過程で生じたことを認めることができる。
この点、被告らは、本件殺人事件は個人の立場で行われたものであって、沖縄旭琉会としての職務執行性はない旨主張する。そして、乙イ第八号証及び被告宮城の本人の供述中には、会とか一家に関係なく、兄弟分の知名及び小浜の敵討ちとして本件殺人事件を計画した旨、知名及び小浜の敵討ちと併せて、被告宮城自身も銃撃されたので、錦一家に対して何かしなければならないと考えた旨、被告宮城が銃撃されなければ、錦一家を襲撃することはなかったであろう旨、組織の抗争としての立場で行動したつもりはない旨の右主張に沿う記載及び供述がある。
しかし、本件殺人事件が本件一連の抗争事件が生じている最中に発生したことに照らせば、被告宮城らが単に個人的怨恨のみを理由として本件殺人事件を遂行したとは考え難く、被告らの右主張は採用できない。
4 使用者と被使用者との間の指揮監督関係
(一) 沖縄旭琉会の組織構造と階層的指揮監督関係
前記1の(四)に述べた沖縄旭琉会の組織構造及び前記1の(六)に述べたとおり、沖縄旭琉会が、指定暴力団連合(暴対法四条)ではなく、単一組織としての指定暴力団(同法三条)の指定を受けていることを併せ考えると、沖縄旭琉会は、会長のもとに第二次組織としての一家があり、さらに一家のもとに第三次組織としての組があるという組織構造をとっており、各組織は、階層的構造により上部組織のもとに統制されており、下部組織及び下部組員は、階層的指揮監督関係により上部の支配下におかれているのであって、沖縄旭琉会は全体として一つの組織として活動している。
この点、乙イ第四号証、第五号証及び第一三号証並びに被告富永本人の供述中には、沖縄旭琉会は各一家の連合体であって、沖縄旭琉会の会長は、各構成員の日常的な生活や行動について常時目配りのできる単位の組長や各一家の総長とは異なって、一般に各一家の構成員に対して、直接指示命令をしたり、破門や絶縁等の処分をしたり、また、これらの者の行動を監督したりできる権限は全くない旨の、乙ハ第一号証及び被告島袋本人の供述中には、総長は、傘下の組の組員に対し、直接間接を問わず、指示命令することも、指揮監督することもできない旨の記載及び供述がある。しかし、直接の指示命令をできる地位になかったとしても、前記1の(四)で述べたとおり総長会における決定及び決定事項の下部組織に対する指示の徹底を通じ、上部組織の指示監督は下部組織に及んでいるのであるから、このことは右に述べた階層的指揮監督関係を認める際の妨げとはならない。
また、被告らは、本件一連の抗争事件当時は、三代目旭琉会を脱退した直後であり、新組織の名称を沖縄旭琉会とすることを宣言したにとどまり、人事等の組織体制の確立には至っていなかった旨主張し、乙イ第四号証、第五号証及び第一三号証並びに被告富永本人の供述中にはこれに沿う記載及び供述がある。しかし、甲第二八号証、第三三号証及び第三七号証によれば、暴力団において絶縁処分は二度と復帰を認めない処分であり、他の暴力団に加入することも許されないこと、したがって、絶縁処分を受けた者は、新たな団体を結成する以外に暴力団として活動することはできないこと、絶縁処分を行った暴力団は、新組織の結成を容認しないのが通常であることが認められる。また、甲第一八号証、第三二号証、乙イ第一号証、第九号証、第一〇号証、第一三号証及び被告富永本人尋問の結果によれば、被告富永は、他の総長らと相談して三代目旭琉会からの脱会を決め、平成二年九月一九日付けで三代目旭琉会を脱会した旨の一〇名の総長連名の通知書を送付したこと、右通知書には新組織名称を沖縄旭琉会とし、代紋及び新本部事務所は現行通りにする旨、新役員改正は後ほど連絡する旨記載されていること、平成二年一一月吉日付けの沖縄旭琉会の挨拶状には、沖縄旭琉会新人事として、会長、各一家総長(その大半は沖縄旭琉会の役職をも併記されている。)、組織運営委員、理事一同、幹事一同、会員一同という記載がされていること、本件殺人事件が発生するまでには右挨拶状にあるような人事体制が確定し、対外的にも発表されることになったこと、沖縄旭琉会結成後に会長付き当番表が作成され、右当番表によれば、各一家から当番を出すことになっていたことが認められる。
右認定事実及び前記1の各認定事実を併せ考えると、沖縄旭琉会の結成は、三代目旭琉会の組織の運営を巡る争いに端を発しており、九月に翁長会長が被告富永らを絶縁処分にしたことを契機に、被告富永らの脱会及び沖縄旭琉会の旗揚げが表明され、右のようにして結成された沖縄旭琉会は、一家総長制を採用し、総長会において意思決定をする等の点において、三代目旭琉会と類似の組織構成、運用を行っており、三代目旭琉会において使用されていた旭琉会規範及び旭琉会会則に代わる新たな規範、会則等は沖縄旭琉会において作成されず、代紋も三代目旭琉会のものをそのまま使用したことは明らかである。
このとおり、沖縄旭琉会が三代目旭琉会と類似の組織構成をとっている事実に照らせば、旗揚げ直後は組織の人事が正式に行われていなかったにせよ、その実態としては一家総長制に基づく組織運営が行われていたことを推認することができる。したがって、右に述べた階層的指揮監督関係は三代目旭琉会を被告富永らが脱会したころから機能していたというべきであり、本件一連の抗争事件当時、各一家が全く個別に活動し、沖縄旭琉会としての一体性を欠いて、統制のとれない状況であったとの被告富永の主張は採用できない。
(二) 本件殺人事件についての使用者責任を基礎づける指揮監督関係
前記3で述べたとおり、本件一連の抗争事件は、沖縄旭琉会及びその第二次組織である島袋一家の業務として遂行され、本件殺人事件は、右業務の遂行過程で生じている。したがって、本件一連の抗争事件について指揮監督関係が認められれば、その遂行過程で生じた本件殺人事件についても使用者責任が成立する。
(三) 被告島袋の本件一連の抗争事件についての指揮監督関係
(1) 甲第三号証、第四号証、第六号証、第七号証及び第一三号証によれば、被告高良は沖縄旭琉会島袋一家平田組の組員であり、昭和六三年四月ころから島袋一家本家に被告高良の名札が掛けられていたこと、島袋一家伊志嶺組組員の知名が射殺されたことから島袋一家が本気になって抗争に参加しようとし始めたこと、知名が殺害された一〇月三日、島袋一家の幹事会が開かれ、幹事会に若頭の花城清昌、行動隊長の親里、事務局長の与那覇、平田組組長、伊志嶺組組長、幹事三名(被告宮城、花城清栄他一名)が出席したこと、幹事会が終わると、ヒラの組員(役付きのない一般組員)も集められ、行動隊長の親里から三代目旭琉会側に対する偵察行動をするよう指示され、実際に三代目旭琉会側の組事務所を偵察したこと、同月一〇日ころ、島袋一家の一家会が開かれたこと、右会合には一般組員も全て参加し、若頭の花城清昌が、一人では絶対行動するな、島袋一家は狙われていると話したこと、その後、島袋一家は伊志嶺組事務所に詰めたこと、被告名嘉は、出所挨拶のために伊志嶺組事務所を来訪した際(一〇月二三日)、相手組員をやったら、被告富永から一人一〇〇万円出るという話を聞いたこと、二三日当時、伊志嶺組事務所には伊志嶺組だけでなく、平田組等島袋一家の連中が集まっており、窓には鉄板が張られていたこと、被告高良は、幹部である被告宮城から道具を準備するから被告名嘉と組んで撃ち込みしてこいと指示されたこと、被告高良は、うまく相手組員を仕留めれば、早く上に上がられるという気持ちや相手組員を一人やれば、被告富永から一〇〇万円出るという話も聞いていたこともあって、三代目旭琉会側組員を殺害する旨の被告宮城の指示を承諾したこと、本件殺人事件後の一一月二三日午後四時ころ、被告宮城から連絡があり、一人一〇〇万円準備するから、夜、事務所に電話を入れるように言われたこと、同日午後八時ころ、被告高良、被告名嘉及び被告宮城は喫茶店で落ち合ったこと、その際、被告宮城は一〇〇円しか持ってこず、一〇万円は被告宮城のものとし、被告高良と被告名嘉はそれぞれ四五万円ずつ受け取ったことが認められる。
甲第八号証及び第二〇号証、乙イ第八号証並びに被告宮城本人尋問の結果によれば、被告宮城は、昭和五七、八年ころから島袋一家及び平田組幹事を務め、あわせて二代目旭琉会幹事を務めていたこと、幹事になってからは島袋一家の幹事会にも旭琉会の幹事会にも出席していたこと、島袋一家若頭の花城清昌が、被告高良及び被告名嘉の依頼なしに刑事事件の弁護人をつけたこと、被告宮城についても依頼なしに花城清昌が刑事事件の弁護人をつけたこと、一〇月三日、知名が射殺されて、本気で戦を戦い抜こうと決心したこと、同月一〇日ころ、島袋一家の一家会が開かれたこと、右会合には一般組員も全て参加し、若頭の花城清昌が、やる気のないものは出ていけ、やる気のある者は残れとか、一人では絶対行動するな、各自防弾チョッキを着用して行動するようにと話したこと、一方、被告宮城は行動隊を組もうと提案したこと、これに対し、花城清昌の弟の花城清栄が行動隊は公の場では簡単に組めないと反対したこと、結局、右一家会では行動隊を組まないことになったこと、錦一家のランドクルーザーが伊志嶺組事務所付近を徘徊して挑発していたので、錦一家に対する警戒心を島袋一家は強めていたこと、被告宮城は、本件殺人事件に至る行動を行動隊長である親里に報告していたこと、親里は外部からの圧力が強くてたまらん(被告宮城の理解によれば、島袋一家から死亡者一名及び重傷者一名を出しながら、島袋一家は何をしているんだという風聞のことを指している。)から何とかしろと言っていたこと、これに対し、被告宮城は、自分もやるべきことはやっていると一蹴したことが認められる。
(2) 乙イ第一九号証及び第二一号証並びに被告宮城本人の供述中には、本件殺人事件前に一〇〇万円渡すと言ったことはない旨の記載及び供述がある。また、乙イ第一八号証によれば、被告高良が刑事事件の控訴審で、本件殺人事件前に金が出る話を聞いたかどうかはあやふやで、事件後に被告高良らが、請求したと記憶している旨、一〇〇万円もらえる話を取調べの際に供述したことはない旨供述している。しかし、右供述等は、前記(1)認定の事実及び乙イ第二〇号証によれば、被告名嘉が刑事事件の控訴審においても、本件殺人事件前に一〇〇万円もらえる話を被告高良から聞いた旨供述したことが認められることに照らし、採用することができない。
(3) 前記(1)及び前記一の1で認定した各事実によれば、本件殺人事件の実行者である被告高良、被告名嘉及び被告宮城は、島袋一家の傘下の組の構成員である。そして、右構成員の名札が島袋一家事務所に掲げられ、また、本件一連の抗争事件に関連して、組事務所に各構成員が招集され、対応策を検討した上で、島袋一家の若頭や行動隊長から、各組の構成員に対し、本件一連の抗争事件、とりわけ知名及び小浜が銃撃されたことについての対策が指示伝達されている。そして、被告高良、被告名嘉及び被告宮城の本件殺人事件についての刑事事件の弁護人は、島袋一家の若頭が選任している。
このように、島袋一家は、傘下の組の各構成員を含めて、本件一連の抗争事件に臨んだのであって、島袋一家の幹部である若頭や行動隊長が本件一連の抗争事件に対する指示を行い、傘下の組の各構成員は、右指示を踏まえて行動している。さらに、島袋一家の総長である被告島袋が、島袋一家の若頭や行動隊長に対して直接指揮監督できる立場にあり、さらに島袋一家傘下の組及びその構成員に対し、前記(一)に述べた階層的指揮監督関係に基づき、指示を出すことのできる立場にあることをも併せ考えると、被告島袋は島袋一家総長として、本件一連の抗争事件に関し、傘下組織の組の組員らとの間にも使用者責任を基礎づける指揮監督関係を有していたというべきである。
この点、乙ハ第一号証及び被告島袋本人の供述中には、被告島袋は本部とか事務所で被告宮城の顔を一、二回見たことがあるにすぎず、被告高良及び被告名嘉のことは全く知らない旨、抗争中は照屋一家の所におり、島袋一家とは連絡をとっていなかった旨、一家の総長は、傘下の組の組員の構成や運営内容についてほとんど把握していない旨、本件一連の抗争事件当時、被告島袋は生活の本拠を大阪に移していた旨、島袋一家の実権は若頭の花城清昌にあった旨、沖縄旭琉会を結成するための相談に出たことはない旨の記載及び供述がある。しかし、甲第一八号証、第三一号証及び乙イ第一〇号証によれば、三代目旭琉会からの脱会書や沖縄旭琉会の旗揚げ書にいずれも被告島袋が島袋一家総長として記載されていることが認められ、また、被告島袋本人尋問の結果によれば、沖縄旭琉会の総長会議には現在に至るまで出席していることが認められることに照らすと、被告島袋に総長としての実権が何らなかったとは考えがたく、右供述は本件一連の抗争事件に関する被告島袋の指揮監督関係を失わせるものではない。
したがって、被告島袋は、島袋一家の業務として遂行された本件一連の抗争事件の過程で生じた本件殺人事件について、使用者責任を負うものというべきである。
(四) 被告富永の本件一連の抗争事件についての指揮監督関係
(1) 甲第二二号証、二六号証、第三三号証及び証人大城俊文の証言によれば、本件一連の対立抗争により検挙された沖縄旭琉会の構成員から、沖縄旭琉会では、抗争で服役した場合には家族の面倒を見、また出所した場合には功労者として相当の報奨金が与えられることになっている旨、抗争事件で逮捕された場合は、一家で生活費の支給等の面倒を見る旨、出所の場合は放免祝いを行う旨、出所したら総長の権限で幹部や組長等へ昇進させている旨の情報を捜査当局が得たこと、対立抗争参加者に対して、傘下組織から逃走資金が支給されていた例もあることが認められる。また、乙イ第二〇号証によれば、被告名嘉が沖縄旭琉会から報酬金が出ると理解していたことが認められる。
甲第二三号証、第三三号証及び第三六号証並びに乙イ第一三号証によれば、本件殺人事件及び翌二三日の警察官殺害事件が発生すると、沖縄旭琉会及び三代目旭琉会とも会長等から繰り返し対立抗争の自粛が指示され、一一月二五日に五代目山口組構成員が引き起こした事件の後は翌年八月に至るまで、抗争事件が発生しなかったこと、沖縄旭琉会及び三代目旭琉会の連名で、平成二年一一月二四日付けの休戦宣言と題する書面があること、平成三年一月、三代目旭琉会会長翁長や誉一家総長安慶名誉夫他幹部数名が逮捕勾留され、勾留のまま起訴されたこと、同年五月、被告富永が貸金業法違反で逮捕勾留され、勾留のまま起訴されたこと、平成四年一月、被告富永が保釈され、三代目旭琉会側と抗争に終止符を打つべく折衝を行ったことが認められる。
甲第一五号証、第一六号証、第二一号証、第二八号証及び第二九号証によれば、沖縄旭琉会執行部が、平成四年二月一三日、抗争終結宣言を県内マスコミ等に発表したこと、三代目旭琉会会長翁長が、同年三月一日、抗争終結宣言を県内マスコミ等に発表したこと、抗争終結宣言後は対立抗争が沈静化したこと、平成三年八月以降に引き続き発生した対立抗争事件に関しては、同年九月二五日に総長会で、同日午前零時をもって、三代目旭琉会と停戦の合意があったことを各組員に伝え、今後一切行動を起こさないこと、停戦後、各一家の跳ね上がり組員が抗争に絡んだ事件を起こした場合は、総長まで責任を取らせることとして停戦の徹底を図ることなどが決定され、指示されたこと、その後、対立抗争事件の発生がなかったことが認められる。
(2) 被告富永は、乙イ第四号証、第五号証及び第一三号証並びに被告富永本人尋問の際に、沖縄旭琉会としては、傘下の各一家の抗争行為を全体として組織的に統括することができなかったのが実情であり、上の方で歯止めが効くような状況ではなかった旨、警察官殺害事件の後、三代目旭琉会と沖縄旭琉会とが警察に呼ばれて、抗争を止めるような指示があって、これ以上抗争を続けると大変なことになると認識し、それから、はっきりしたことは決めなかったが、お互いに自粛という形をとり、その関係で抗争が沈静化した旨、警察の警備の強化があって、一一月には、抗争が沈静化の傾向であった旨、一一月に沖縄旭琉会の会長に就任した後、徹底した抗争の自粛を行き渡らせるための伝達等をしたような記憶がある旨供述する。
しかし、沖縄旭琉会の結成が、前記1の(二)で述べたとおり組織運営を巡る方針の違いを原因とするものであって、全くの突発的分裂とはいえないこと、警察官殺害事件の後になされた自粛の徹底以降は、抗争事件が発生しなかったことからすると、上の方で歯止めが効くような状況ではなかった旨の供述は採用することができない。
(3) そこで、本件一連の抗争事件についての被告富永の指揮監督関係について検討すると、被告富永は、前記(一)で述べた沖縄旭琉会における階層的指揮監督関係の頂点に位置し、被告島袋ら各一家の総長に対しては、直接指揮監督ができる立場にあり、傘下組織の構成員に対しては、前記階層的指揮監督関係に基づき指示を出すことのできる立場にあった。
また、被告富永は、三代目旭琉会在籍当時、理事長として会長翁長につぐ立場にあり、組織の運営をめぐって翁長会長らとの間に緊張関係があったところ、被告富永らは翁長による絶縁処分を契機に、連名の脱会状で、三代目旭琉会を脱会した。右脱会に至る経緯及び沖縄で過去数回にわたって暴力団抗争が勃発し、銃器がしばしば使用されたこと(前記1の(一)参照)から考えると、被告富永ら反主流派は、三代目旭琉会を脱会し、沖縄旭琉会の旗揚げに至る平成二年九月二〇日ころの段階で、三代目旭琉会との抗争事件勃発をかなりの蓋然性をもって予見し、また、新組織である沖縄旭琉会は、組織としての一体性を有していたものと推認することができる。そして一一月中旬までには、被告富永が沖縄旭琉会の会長を務めることが正式に確定した。本件一連の抗争事件は、右状況の下、被告富永らの脱会直後に発生し、二か月余りにわたって継続したもので、しばしば銃器が使用されていたところ、本件殺人事件及び警察官殺害事件以降は、警察当局の強い勧告を契機に、被告富永が抗争の自粛(抗争終結ではない。)を指示し、右指示の後は、抗争行為が生じることがなかった。
右に述べた階層的指揮監督関係における被告富永の地位に加え、本件一連の抗争事件に至る経緯及び抗争の期間、内容、終結に至る経緯を併せ考えると、被告富永と本件一連の抗争事件との間に、使用者責任を基礎づける指揮監督関係の存在を認めることができる。
この点、被告富永は、乙イ第四号証、第五号証及び第一三号証並びに被告富永本人尋問で、本件一連の抗争事件は、組織の末端が互いに攻撃し合い、双方の攻撃が一挙に全体に拡大したものであって、被告富永らが抗争を指示したものではない旨供述する。しかし、右に述べた点からすれば、被告富永が本件一連の抗争事件の遂行を具体的、積極的に企画、指示、援助等しなかったとしても、被告富永は、本件一連の抗争事件について使用者責任を基礎づける指揮監督関係を有していたというべきであるから、右供述は採用することができない。
したがって、被告富永は、沖縄旭琉会の業務として遂行された本件一連の抗争事件の過程で生じた本件殺人事件について、使用者責任を負うものというべきである。
三 損害
1 亡次郎の損害
六一一四万五九六〇円
(一) 逸失利益
四一一四万五九六〇円
前記第二の一の2で述べたとおり、亡次郎は、死亡当時、定時制高校四年生(一九歳八月)であり、卒業時の一九歳一一月から六七歳まで就労可能であった。
したがって、亡次郎の逸失利益は、賃金センサス平成元年第一巻第一表の新高卒者の全年齢平均給与額の年収四五五万二三〇〇円を基礎とし、生活費控除割合を五〇パーセント、ライプニッツ方式により中間利息(一九歳の係数18.077)を控除して算出すれば、四一一四万五九六〇円(一〇円未満切捨)となる。
(二) 慰謝料 二〇〇〇万円
甲第九号証によれば、亡次郎は四人兄弟の長男であること、亡次郎は、本件殺人事件当時、県立沖縄工業高校定時制四年生に在学しており、翌年四月に卒業した後の就職先も既に決まっていたこと、亡次郎はアルバイト収入の一部を家計にいれていたことが認められる。そして、亡次郎がアルバイト勤務中に殺害されたこと、本件殺人事件には所持自体が禁止されている銃器が使用され、しかも被告らは相手方組員を無差別に殺害することを目的としていたこと、本件殺人事件は組織暴力団同士の一連の抗争事件の一環として発生し、亡次郎は暴力団と無関係の一般市民であったこと、亡次郎は抗争中の組事務所でフェンス取り付け作業に従事していたものの、亡次郎は暴力団と誤認されるような行動をとっていなかったこと、被告らは、見舞金の支払を行っているが、いまだ原告らの被害感情を十分に慰謝したとはいえないこと、その他、本件に現われた諸般の事情を併せ考えると、本件殺人事件に係る亡次郎に生じた慰謝料額は二〇〇〇万円と認めるのが相当である。
(三) 原告らの相続 各原告らにつき各三〇五七万二九八〇円
弁論の全趣旨によれば、亡次郎の相続人は、両親である原告ら二人のみであって、他に相続人はいないことが認められる。したがって、原告らは、前記(一)及び(二)の損害賠償請求金六一一四万五九六〇円を法定相続分に従い、各原告につき、各三〇五七万二九八〇円を相続によって取得したことが認められる。
2 原告らの損害
(一) 原告太郎に生じた損害
四〇〇万円
(1) 葬儀費用 一〇〇万円
弁論の全趣旨によれば、原告太郎は、亡次郎の葬儀を行っていることが認められるところ、亡次郎の年齢、社会的地位、家族構成等本件に現われた諸般の事情を併せ考えると、本件殺人事件と相当因果関係のある葬儀費用の損害は、一〇〇万円と認めるのが相当である。
(2) 慰謝料 三〇〇万円
前記1の(二)に述べた諸事情及び亡次郎に生じた慰謝料の額を考慮すると、原告太郎固有の慰謝料については、三〇〇万円と認めるのが相当である。
(二) 原告花子に生じた損害
三〇〇万円
前記1の(二)に述べた諸事情及び亡次郎に生じた慰謝料の額を考慮すると、原告花子固有の慰謝料については、三〇〇万円と認めるのが相当である。
3 以上によれば、本件殺人事件により原告らが被った損害は、原告太郎が三四五七万二九八〇円、原告花子が三三五七万二九八〇円である。
四 過失相殺及び弁済等
1 過失相殺
乙イ第三号証によれば、亡次郎は、アルバイト先の経営者の弟に頼まれて、本件殺人事件現場でのフェンス取り付け作業に従事したこと、亡次郎は現場が暴力団事務所であると聞かされた上で仕事を引き受けたこと、本件殺人事件発生時、亡次郎は、作業ズボンにTシャツ姿で、梯子の足を押さえていたことが認められる。
本件殺人事件は、所持を禁止された銃器を使用して行われたものである。一方、亡次郎は、暴力団組事務所でフェンスの取り付け作業に従事していたにすぎず、暴力団員らしき行動をとったわけではない。
被告富永及び被告島袋は、本件一連の抗争事件が発生している状態を知りつつ亡次郎が組事務所での現場作業に従事したことをとらえ、亡次郎がことさら危険に接近した旨主張する。しかし、亡次郎が抗争事件中の暴力団組事務所の作業であることを承知の上で作業に従事したからといって、銃器により人違いで射殺された亡次郎について、過失相殺すべき事情はない。
よって、被告らの過失相殺の主張は採用できない。
2 弁済その他
(一) 原告らは、労災保険給付として遺族年金四九万一一三〇円、遺族補償年金前払一時金三二一万円、遺族特別支給金三〇〇万円及び葬祭料三四万六三〇〇円の支払を受けている(弁論の全趣旨により認められる。)。右支給額のうち、遺族年金、遺族補償年金前払一時金及び葬祭料の合計四〇四万七四三〇円については、被告らの支払うべき額から控除するのが相当であるが、遺族特別支給金三〇〇万円については、特別支給金が被災労働者の損害を填補する性質を有するということはできないので、控除することはできない(最高裁平成八年二月二三日第二小法廷判決・民集五〇巻二号二四九頁参照)。したがって、四〇四万七四三〇円を被告らの支払うべき額から控除する。
(二) 本件訴訟提起後、本件殺人事件に関する損害賠償として、被告宮城、被告名嘉及び被告高良が、各三〇〇万円合計九〇〇万円を原告に支払っている(弁論の全趣旨により認められる。)。また、乙ロ第一号証及び第二号証によれば、本件訴訟提起後、本件殺人事件に関する刑事控訴審が係続中の平成五年三月一八日、被告宮城及び被告高良が、原告らに対し、各一〇〇万円合計二〇〇万円を被害弁償金の一部として支払ったことが認められる(なお、乙イ第一三号証によれば、右合計一一〇〇万円は被告富永が出捐したことが認められる。)。
したがって、右額合計一一〇〇万円については弁済が認められるので、被告らの支払うべき額から控除する。
(三) よって、前記三の3で認めた各原告の損害額から、前記四の2の合計一五〇四万七四三〇円の二分の一である七五二万三七一五円を控除すると、原告太郎の残損害額は、二七〇四万九二六五円、原告花子の残損害額は、二六〇四万九二六五円となる。
3 弁護士費用 原告太郎につき二七〇万円、原告花子につき二六〇万円
本件事案の難易、審理の経過、認容額その他本件に現われた諸般の事情を併せ考えると、本件殺人事件と相当因果関係のある弁護士費用相当の損害は、原告太郎につき二七〇万円、原告花子につき二六〇万円と認めるのが相当である。
五 結論
以上のとおり、被告らは、連帯して、原告太郎に対し、二九七四万九二六五円、原告花子に対し、二八六四万九二六五円及びこれらに対する本件殺人事件発生の日である平成二年一一月二二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は、いずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文及び九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官喜如嘉貢 裁判官近藤宏子 裁判官古河謙一)